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ふるさと納税 ホテル・旅館特集

ホテル・旅館特集

夏休みなどの長期休みに旅行へ行くという方も多いでしょう。旅行を楽しむポイントはたくさんありますが、ホテルや旅館で過ごす時間も大切な思い出のひとつです。宿泊する施設をしっかり選んで、楽しい旅行にしたいですね。それでは、ふるさと納税のお礼品として用意されている、全国各地のホテルや旅館の宿泊券や利用券の一部を見ていきましょう。

北海道

ブランド総合研究所が行う「地域ブランド調査2017」の「全国都道府県別魅力度ランキング」において、2009年の調査開始以降、常にトップを走り続けている北海道。特に函館市は2016年にはランキング首位に輝いたほど魅力のある都市であり、観光スポットもたくさんあります。函館市だけでも訪れたい場所はたくさんあるのですが、函館エリアに来たらぜひ足をのばしてほしいのが、函館市から車で約1時間半の位置にある北海道江差町です。実は、江差町は北海道文化の発祥の地ともいわれている町なのです。
日本政府による北海道の開拓は明治時代に入ってから本格的に行われるようになりましたが、それ以前から北海道ではアイヌ民族の文化に代表されるさまざまな文化を持っていました。江差町も独自の文化を持っていた町のひとつ。江戸時代に入ってニシン漁がさかんに行われるようになった江差町には、ニシン漁が終わった旧暦5月頃に、ニシンの加工品を求めて、北海道内のみならず、本州各地の商人や漁民が集まったといわれています。その賑わいは、「江差の五月は江戸にもない」と称されるほどのものであり、ニシン漁を中心として繁栄した文化は、現在まで脈々と受け継がれています。
江差町の観光の際には、江差町内のホテル・旅館で宿泊し、旅の疲れを癒しましょう。ふるさと納税のお礼品には、江差町にある旅館「江差旅庭群来(えさしりょていくき)」の宿泊券が用意されています。全7部屋のゆとりのある客室に、源泉100%の天然温泉、地元の食材をふんだんに使った食事など、非日常を心ゆくまで楽しむことができます。ふるさと納税を活用し、北海道文化発祥の地とされる江差町での滞在を体験してみませんか?

東北地方

豊かな自然や歴史的建造物など、観光スポットがたくさんある東北地方。四季折々の観光を楽しめるうえに、新幹線などの公共交通機関も整備されているため、都心から足を運びやすい地域といえるでしょう。
新幹線というと、東京や大阪、名古屋といったように、比較的大きな都市に駅があることが多いのですが、実は東北地域には、日本にただ1つしかない、新幹線の駅がある村があるのです。その村の名前は「西郷村(にしごうむら)」。「東北新幹線新白河駅」を擁する福島県西郷村は、栃木県那須町に隣接する村で、東京からだと新幹線で約1時間20分、車で約2時間といった位置にあります。西郷村は新幹線の駅がある東部の都市部、村役場を中心として住宅地が広がる中部、美しい山や川に恵まれた自然豊かな西部といったエリアに分かれています。特に西部エリアには、「西の郷遊歩道」や「新甲子(かし)遊歩道」など、人間の手がほとんど入っていない自然を思う存分楽しめるスポットがたくさんあります。豊かな自然の中で、ハイキングやバードウォッチングを楽しんだあとは、西郷村の「甲子温泉」で疲れを癒やしましょう。
ふるさと納税のお礼品には、甲子温泉にある旅館やホテルの宿泊券も用意されています。特に、「甲子温泉旅館大黒屋」は、1384年に温泉が発見されて以来の長い歴史を持つ老舗旅館であり、徳川吉宗の孫で寛政の改革を行った松平定信も湯治に訪れていたといわれています。また、ファミリーで気軽に甲子温泉を楽しみたいという方は、「スパ・ホテルあぶくま」や「はなのや」の宿泊券もおすすめです。福島の大自然の中で、時の為政者が愛した甲子温泉の湯を堪能してみませんか?

関東地方

関東地方には東京や横浜といった人口の多い都市が多く、東京スカイツリーやテーマパークなどといった都会的な観光スポットがたくさんあります。一方、都心部から少し離れると、東京都の「高尾山」、群馬県の「尾瀬ヶ原」、茨城県の「筑波山」といった豊かな自然を感じられる地域もあります。また、群馬県の「草津温泉」や栃木県の「鬼怒川温泉」、神奈川県の「箱根湯本温泉」のように、有名な温泉地が多いのも特徴です。
有数の温泉地がある関東地域のふるさと納税のお礼品には、たくさんの旅館・ホテルの宿泊券や温泉利用券が用意されています。なかでも、静岡県との県境にほど近い神奈川県山北町にある「中川温泉」は、「甲斐の虎」とも称される武田信玄が、難攻不落の城といわれた小田原城の城主・北条氏康との戦いで負傷した兵士たちの湯治に使用したという言い伝えも残っており、別名「信玄の隠し湯」とも呼ばれています。また、中川温泉の湯は火山性の鉱物が溶け込んでいるため、pH10以上もの高いアルカリ性を示します。アルカリ性の高い湯は、皮膚の表面の汚れや余分な脂を洗い流してくれるので、中川温泉は「美人の湯」ともいえるでしょう。
中川温泉には、ホテルや旅館がいくつかありますが、ふるさと納税のお礼品には、「丹沢ホテル時之栖(ときのすみか)」の宿泊券や温泉利用券が用意されています。丹沢ホテル時之栖は温泉だけでなく、広々とした客室やバーベキューなどのアクティビティも人気です。三保ダムの建設によってできた「丹沢湖」や日本の滝百選にも選ばれた「洒水(しゃすい)の滝」といった観光地も近いので、ホテルでの宿泊と併せて観光も楽しんでくださいね。

中部地方

中部地方は9つの県から構成されているということもあり、非常に多くの観光地に恵まれています。織田信長や武田信玄、上杉謙信、徳川家康など有力な戦国武将のゆかりの土地も多いため、戦国時代を中心とした歴史が好きな方にはたまらない地域でしょう。
戦国時代を学校の授業で扱うときは、天下統一を成し遂げた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑について語られることが多いのですが、三英傑と深い関わりをもち、加賀百万石と言われるほどの広大かつ豊かな領地を与えられた前田利家も有名ですね。ふるさと納税のお礼品には、前田利家を始まりとする加賀藩前田家にゆかりのある温泉地の旅館・ホテルの宿泊券も用意されています。
その温泉の名前は「和倉温泉」。能登半島の南部に位置する石川県七尾市にある温泉地で、日本では非常に珍しいとされる「海の温泉」です。和倉温泉の歴史の始まりは約1200年前。11世紀初め頃に再発見され、江戸時代には加賀藩二代目藩主である前田利長が、和倉温泉の湯を取り寄せて腫れ物を治療したという記録も残されています。このことから和倉温泉の評判が高まり、幕末には京都の公家や全国各地の豪商や文化人が訪れるようになりました。
江戸時代から常に利用しやすいよう整備されていた和倉温泉には、歴史ある旅館やホテルがたくさんあります。ふるさと納税のお礼品には、六代続く歴史を誇る「多田屋」、大正浪漫あふれる建物が魅力の「渡月庵」、渡月庵と同じグループに属する「宝仙閣」「寿苑」といった、和倉温泉の湯を堪能できる旅館・ホテルの宿泊券が用意されています。能登半島の美しい景色を見ながら、前田家当主も愛した和倉温泉の湯をゆっくり楽しんでみませんか?

近畿地方

近畿地方は大阪府や京都府、奈良県といった、古代日本の政治や文化の中心地として栄えた地域がたくさんあり、現在でも非常に人気の高い旅行先です。修学旅行で一度は行ったことがあるという人も少なくないのではないでしょうか。また、姫路城や熊野古道、法隆寺などといった世界遺産もあり、日本の歴史や文化を存分に感じることができる地域ともいえるでしょう。
日本の文化のひとつである食文化でも、近畿地方で始まったものがたくさんあります。そのひとつが醤油です。金山寺味噌から生まれた醤油は、現在の和歌山県湯浅町が発祥の地とされており、現在でも醤油醸造の歴史を感じることができる町並みが保存されています。また、湯浅町は熊野古道紀伊路の宿場町としても栄えていたため、熊野古道へのアクセスもよく、熊野古道紀伊路を使った熊野詣を体験することもできます。そして、みかんをはじめとする柑橘類や、生しらすなどの海の幸も楽しむことができる湯浅町。湯浅町周辺エリアを堪能しようと思うと、1日ではとても足りませんね。湯浅町周辺エリアで宿をとり、ゆっくりと旅の疲れを癒やしましょう。
ふるさと納税のお礼品には、「湯浅城」の宿泊券が用意されています。湯浅城は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士・湯浅宗重が1143年に建てた城ですが、現在旅館・ホテルとして営業している湯浅城は、この湯浅氏の居城を模して造られた建物です。天守閣の最上階からは湯浅町の町並みが一望でき、その下の階では展示物も見ることができます。湯浅町で作られる食材を中心としたおいしい料理や、天然温泉も楽しめますよ。ぜひ一度、天守閣に泊まって、お殿様・お姫様気分を味わってみませんか?

四国地方

温暖な気候が特徴的な四国地方。各県それぞれの文化や歴史がありますが、弘法大師(空海)が建立した四国八十八ヶ所霊場とそれぞれの寺院を結ぶ遍路道、お遍路さんの文化といった共通の文化も楽しめる地域でもあります。
四国地方の各地にある四国八十八ヶ所霊場のうち、高知県にある第38番札所「金剛福寺」は、四国最南端の足摺(あしずり)岬にあります。足摺岬は太平洋に突き出たような地形をしており、足摺岬の展望台から見る景色の視界は何と270度以上。自然の偉大さを感じることができる場所です。この足摺岬を見下ろす位置にある金剛福寺や「地獄の穴」「大師の爪書き石」などといった足摺の七不思議、「白山神社」と神社から続く「白山洞門」など、足摺岬を中心とするエリアでは、長い歴史の中で培われた文化や豊かな自然を満喫することができます。
足摺岬エリアの観光スポットを楽しんだら、あしずり温泉郷の旅館・ホテルに宿泊し、あしずり温泉で旅の疲れを癒やしましょう。あしずり温泉の歴史の始まりは約1200年前。弘法大師が金剛福寺を建てたときに、あしずり温泉の湯で疲れを癒やしたという言い伝えも残っています。その後、地殻変動によって湯が出なくなってしまいましたが、1989年に源泉が掘削され、1999年にはあしずり温泉郷として開業しました。ふるさと納税のお礼品には、あしずり温泉郷の旅館・ホテルのうち、「足摺サニーサイドホテル」「海上館」「足摺国際ホテル」「足摺テルメ」「足摺パシフィックホテル花椿」「ホテル足摺園」の6つの旅館・ホテルの宿泊券が用意されています。ふるさと納税を活用し、弘法大師も疲れを癒したとされるあしずり温泉を利用してみませんか?

九州地方

九州地方には、軍艦島(端島)や琉球王国のグスク(城)、屋久島、太宰府天満宮、吉野ヶ里遺跡など、見所あるスポットがたくさんありますが、九州地方には温泉も多いことをご存じでしょうか。大分県の別府温泉や由布院温泉、鹿児島県の指宿温泉、佐賀県の嬉野温泉などは全国的にも有名ですね。ふるさと納税のお礼品には、これらの温泉が楽しめる旅館・ホテルの宿泊券が用意されています。なかでも、温泉を楽しめる旅館やホテルを、宿泊券を受け取ってから選ぶことができる嬉野温泉の宿泊券は、贈答用にもおすすめです。
嬉野温泉がある嬉野市は、佐賀県の西部に位置しており、九州佐賀国際空港からのアクセスも良好な場所にあります。嬉野温泉の名前の由来となった出来事があった時代は、古事記や日本書紀の時代。九州地方や新羅(しらぎ)の攻略を指揮していたとされる神功(じんぐう)皇后が、負傷した兵士を嬉野の温泉に入れたところ、兵士がみるみるうちに元気になったという言い伝えがあります。兵士たちが元気になったことを知った神功皇后が、「あな(まあ)、うれしいの」と言ったことから、「嬉野」という地名が付いたとされています。また、江戸時代にはドイツ人医師のシーボルトによって泉質が調査されたり、『東西遊記』などの紀行文に嬉野温泉のことが記述されていたりと、文献に記されるほど有名な温泉になりました。
ふるさと納税のお礼品には、「大正屋」「和多屋別荘」などといった嬉野温泉を楽しめる旅館・ホテルを選ぶことができる宿泊券が用意されています。お礼品の宿泊券を活用して、「古事記」や「日本書紀」の時代からの伝承が残る嬉野温泉を堪能しましょう。

現在では、旅行やビジネスに必須のホテルや旅館。厚生労働省によると、2015年3月時点における、日本で営業しているホテル・旅館の数は、5万1778軒に上るそうです。では、今日のようなホテル・旅館業に至るまでに、ホテルや旅館はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。まずは海外におけるホテルの歴史を見てみましょう。
ホテルや旅館を「旅人が宿泊と食事ができる場所」と解釈すると、その歴史は約4000年前までさかのぼります。ユーフラテス川流域に遊牧民が建設したバビロンという都市には、旅人が宿泊したり食事ができたりする施設があったのではないかと推定されています。また、紀元前8世紀頃にアテネを中心として発展したギリシャ文明には、ホテルの基礎となる文化があったことを示す遺跡も残っています。
ローマ帝国が東西に分裂し、古代から中世へと時代が移ると、それまでに培われてきたホテル文化の発展は停滞しました。一方で、宗教による生活様式や文化が形成され、教会への礼拝に向かう参拝者のための宿泊所が整備されました。さらに時代が下り、大航海時代とも称される時代に入ると、ホテルの文化も再興し、ホテル同士の組合や従業員の労働組合などもできるようになったとされています。
さらに、近世に入ると、王侯貴族を対象とした高品質なもてなしや創意工夫にあふれた料理など、現在のホテルや旅館のサービスに多大な影響を与える文化が花開きました。近世後期にはヨーロッパ各地で産業革命が起こり、王侯貴族のほかにも富を得た上流階級の人たちが生まれました。これらの人々の社交の場や旅行の際の宿泊所として、ホテルが使われるようになったのです。
20世紀には、中流階級も手が出せるホテルが開業されるようになりました。第二次世界大戦後には日本でも有名な「ヒルトン」が非常に大きなホテルチェーンを作るなど、現在のホテル業界の繁栄の基礎が作られました。
一方、日本でも独自にホテル・旅館の歴史が生まれています。日本におけるホテルや旅館の歴史の始まりは、「駅」とよばれる宿泊ポイントであり、駅という言葉自体は、古事記や日本書紀に記載されている3世紀頃の神話時代には既に存在していたとされています。さらに、飛鳥時代にあたる697年頃には、30里(約120km)ごとに「駅舎」とよばれる宿泊所を設置し、駅舎には旅人に貸し出される「駅馬」が整備されていたといわれています。ただし、この駅舎や駅馬を利用できるのは、政府の高官や位の高い人間に限られていたようです。
奈良時代に入っても、駅舎や駅馬は活用されていましたが、一般市民はこの施設やサービスを利用することはできませんでした。そのため、当時の一般市民が旅をするときには、「秘伝処(民間の飢餓者・病人救済施設)」や「布施屋」という施設で宿泊していたといわれています。一方で、奈良時代には唐(現在の中国)との交流もさかんに行われるようになり、唐からの使節も度々迎えていました。京都や摂津、太宰府に迎賓館が置かれ、唐の使節団をもてなしていたと伝えられています。
平安時代に入ると、東海道や山陽道などをはじめとする8つの街道が整備され、約320軒の宿駅(駅)が置かれたといわれています。また、仏教の広がりとともに、寺院への参拝者も増えたため、宿坊という宿泊形態も生まれました。
鎌倉時代に入ると、新たに「宿奉行」とよばれる役職が作られ、全国の宿の統制や整備が行われました。従来の宿駅はもちろん、一般市民が泊まる一般家屋も宿としてみなされ、現在の一般市民が宿泊するホテルや旅館の原点となったのです。室町時代には、街道沿いにある一般市民が宿泊する施設のうち、信用できるところを幕府公認施設に認定するという制度も施行されました。幕府公認の宿泊施設の玄関の軒先には、「宿泊したいという旅人が来たら、絶対に拒まない」という証として兜が掲げられ、人々が安心して泊まることができる施設の目印となったのです。
室町時代頃までは、各地にある宿泊施設は朝廷や幕府の役人、寺院への参拝客が利用することが多く、無償で宿泊場所や食事が提供されていましたが、戦国時代に入ると宿泊するのに代金が発生するようになりました。風呂の湯を沸かすための薪代として、1日あたり2.5合の米は必ず所持しておくようにとの命令が出されたという記録も残っています。
江戸時代になると、各地の大名の参勤交代が始まったことや、太平の世となり旅行へ行きやすくなったことにより、街道沿いの宿も再整備されました。街道沿いには、大名や公家、幕府の役人が利用する「旅館」、下級武士や農民、商人といった一般市民が利用する「宿場」「旅籠屋」が整備され、これらの宿を中心として宿場町が各地の街道沿いで発展しました。東海道五十三次の宿場町は特に有名ですね。
日本に西洋のようなホテルが誕生したのは17世紀頃。オランダの文化として流入してきたホテルは、主に外国人をもてなすための施設として建てられ、日本人が宿泊するところは旅館、外国人が宿泊するところはホテルといったような線引きがあったとされています。明治後期には「帝国ホテル」「京都ホテル」「大阪ホテル」といった本格的なホテルが建てられるようになり、経営も近代化されていきました。一方、旅館も宿泊料を適正な価格で明示するなど、より近代的な経済感覚を身につけていったのです。
第二次世界大戦後には、1964年に開かれた東京オリンピックをきっかけに第一次ホテルブームが、1970年に開催された大阪での日本万国博覧会をきっかけに、第二次ホテルブームが起こりました。このようなホテルブームと並行して、旅館業法や国際観光ホテル整備法といった法律も整備され、宿泊客がより快適に過ごせるホテル・旅館が発展してきました。現在では安全・清潔といった基本的なことに加え、そのホテルや旅館の独自性やおもてなしの心が重要視されるようになってきています。
2020年開催予定の東京オリンピック・パラリンピックを前に、ますます活気づく日本のホテルや旅館。ふるさと納税を活用して、日々進化し続ける全国各地のホテルや旅館を満喫してみてはいかがでしょうか。

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