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ふるさとの歴史的魅力に触れよう 日本遺産特集

ふるさとの歴史的魅力に触れよう 日本遺産特集

日本遺産に関連するお礼品をご紹介します。地域の歴史的魅力や特色、文化、伝統を知ることのできる日本遺産に触れながら、ふるさと納税のお礼品を選んでみませんか?

日本遺産とは

日本遺産とは、文化庁に認定された地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーです。

日本遺産を構成する文化財には、建造物など形あるものだけでなく、地域の特産品を生み出す技術や世代を超えて受け継がれる伝承、風習なども含まれます。
文化庁では、これらの地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで地域活性化を図ることを目的として、全国各地で日本遺産を認定しています。

本特集では、日本遺産のストーリーと関連するお礼品をご紹介します。地域の歴史的魅力や特色、文化、伝統を感じながら、ふるさと納税のお礼品を探してみてください!

お礼品を選べる日本遺産

北海道地方

東北地方

関東地方

中部地方

近畿地方

中国地方

四国地方

九州地方

沖縄地方

本邦国策を北海道に観よ!

~北の産業革命「炭鉄港」~

北海道

明治の初めに命名された広大無辺の大地「北海道」。その発展に大きく貢献したのは、「石炭」「鉄鋼」「港湾」とそれらを繫ぐ「鉄道」による、北の産業革命「炭鉄港」でした。当時の繁栄の足跡は、空知の炭鉱遺産、室蘭の工場景観、小樽の港湾、各地の鉄道施設など産業景観として数多く残り、「室蘭やきとり」や「美唄焼き鳥」をはじめとした「炭鉄港めし」と呼ばれる独特の食文化も、今なお地元で愛され続けています。
また、地域の歴史や産業遺産はまちづくりにも活かされ、特に小樽は「歴史とロマンの街」として人気の観光地であり、小樽運河沿いの旧倉庫街や市場に多くの人々が訪れます。

「鮭の聖地」の物語

~根室海峡一万年の道程~

北海道

北海道最東の海、根室海峡。この地では遥か一万年の昔から、絶えず人々の暮らしが続いてきました。多くの人々を魅了し続けたのは、根室海峡沿岸の山海川の恵みであり、その最大の産物は鮭でした。鮭は、アイヌの伝承で「知床の沖にいるカムイ(神)からの贈り物」とされています。
毎年秋に繰り返される鮭の遡上という自然の摂理の下、ここでは人と自然、文化と文化の共生と衝突が起こり、数々の物語とともに、海路、陸路、鉄路、道路という、根室海峡に続く「道」が生まれました。
一万年に及ぶ時の流れの中で、鮭に笑い、鮭に泣いた根室海峡沿岸。ここは今も、人と自然、あらゆるものが鮭とつながる「鮭の聖地」です。

サムライゆかりのシルク

日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ

山形県

山形県鶴岡市を中心とする庄内地域は、旧庄内藩士が刀を鍬(くわ)に持ち替えて開拓し、国内最北限の絹産地として発展しました。養蚕から絹織物の製品化まで、一貫した工程での生産が今も可能な国内唯一の地です。
多層民家の里として知られる田麦俣(たむぎまた)集落には、養蚕のために建てられた四層構造の民家が現存し、今なお明治時代創業の工場で絹の精練が行われるなど、絹産業の歴史と文化が貴重な歴史遺産として残されています。
現在は、絹の新たな文化価値や創造性溢れる産業を創出するため「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」に取り組み、「サムライゆかりのシルク」の魅力を世界に発信しています。

山寺が支えた紅花文化

山形県

鬱蒼と茂る木々に囲まれた参道石段と奇岩怪石の景勝地「山寺」。この山寺が深く関わった紅花栽培と紅花交易は、莫大な富と豊かな文化をもたらしました。
この地の「最上紅花」は、多様な色合いを出す貴重な染料で、江戸時代にはその価格が「米の百倍・金の十倍」といわれました。豪農や豪商が構えた立派な蔵屋敷は今も数多く残り、上方文化とのつながりを示す雅な雛人形や、紅花染めの衣装を身に着けて舞う舞楽(ぶがく)も現代まで受け継がれ、華やかな彩りを添えています。
紅花交易は食文化にも影響を与えました。山形の秋の風物詩「芋煮会」は、上方に紅花を運んだ船頭が、川原で地元食材の里芋と帰り荷の棒鱈を煮て食べたことが発祥とされています。

会津の三十三観音めぐり

~巡礼を通して観た往時の会津の文化~

福島県

東北地方で最も早く仏教文化が花開いた会津は、今も平安初期から中世、近世の仏像や寺院が多く残り「仏都会津」と呼ばれています。
そのなかでも、三十三観音巡りには古来のおおらかな信仰の姿が今もなお残り、会津の人々に広く親しまれています。会津藩祖・名君保科正之の時代に始まった会津三十三観音巡りは広く領民に受け入れられ、後にさまざまな三十三観音が建立されました。会津の三十三観音は、国宝を蔵する寺院から山中に佇むひなびた石仏まで、いたるところにその姿をとどめています。三十三観音巡りでは、道中にある宿場や門前町で一服しながら道をたどることで、往時の会津の人々のおおらかな信仰娯楽を追体験することができます。

里沼(SATO-NUMA)

―「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化―

群馬県

関東の山々が一望できる館林では、今も多くの沼と出会うことができます。館林の沼は人里近くにあり、「里山」と同様に人々の暮らしと深く結び付き、人が沼辺を活用することで良好な環境が保たれ、文化が育まれてきた「里沼(SATO-NUMA)」でした。館林の里沼の歴史を紐解くと、里沼の原風景と信仰が共存する茂林寺沼は「祈りの沼」、沼の恵みが暮らしを支えた多々良沼は「実りの沼」、館林城とつつじの名勝地を守ってきた城沼は「守りの沼」と言い換えることができます。
「実りの沼」である多々良沼からの用水によって潤された田畑では、米と麦の二毛作が可能となり、麦を原料としたうどんやお菓子、醤油が名産品となりました。

究極の雪国とおかまち

―真説!豪雪地ものがたり―

新潟県

世界有数の豪雪地として知られる新潟県十日町市。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、この地に住み継いできました。十日町市を含む魚沼地域では雪国の風土や地形を生かした稲作が盛んで、全国でも屈指の米どころです。
また、名物の「へぎそば」は、織物の糸の糊付けに使う海藻「布海苔」をつなぎに使うことで、ツルッとした独特の食感と抜群の風味が生まれます。市内では、縄文時代の遺跡品も数多く出土し、特に国宝「火焔型土器」の圧倒的存在感は5,000年の時を経てなお、人々を魅了してやみません。

海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群

~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~

福井県

若狭は、古代から塩や海産物など豊富な食材を都に運び、都の食文化を支えてきました。特産品として、小鯛などを塩と米酢で調味し杉樽に詰めた「ささ漬」や、鯖などを塩と糠に漬けて発酵させた「へしこ」など、海産物のおいしさを長持ちさせる水産加工品が挙げられます。
大陸からつながる海の道と、都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点となった地であり、街道沿いには港、城下町、宿場町が栄え、祭礼、芸能、仏教文化が農漁村にまで広く伝播し、独自の発展を遂げました。
近年「鯖街道」と呼ばれるこの街道群沿いの地域のお礼品として、水産加工品のほか、日本遺産の構成文化財「瓜割の滝」の源水を使用したミネラルウォーターも選ぶことができます。

葡萄畑が織りなす風景

―山梨県峡東地域―

山梨県

山梨市、笛吹市、甲州市(峡東地域)では、平坦地から傾斜地まで葡萄畑が広がり、季節ごとにさまざまな風景を見せてくれます。
この地の葡萄栽培は、奈良時代から始まったと伝えられています。江戸時代には竹を使った棚で葡萄が栽培され、日本における葡萄栽培の原型となりました。その後も先人たちの知恵と工夫により、葡萄畑は地域の隅々まで拡大していき、農家だけでなく神社仏閣も葡萄畑の海に浮かぶような、他では見られない風景が形成されていきました。
また、葡萄畑で育まれたワインは、日常のお酒として地域に根付きました。積み重ねてきた技術や歴史を物語る建物は現代まで受け継がれ、葡萄畑の風景の中に溶け込んでいます。

月の都 千曲

―姨捨の棚田がつくる摩訶不思議な月景色「田毎の月」―

長野県

日本人の美意識を表す「月見」。なかでも、歴史的に文学や絵画の題材となってきた「姨捨山に照る月」「田毎の月」は、日本を代表する月見の名所です。
姨捨は地名の響きから、棄老物語を語り伝えてきました。それは、月見にちなむ文芸への遊び心を鼓舞する一方で、棚田での耕作や伝統行事を通じて、古老の知恵と地域の絆を大切にする教えを育んできました。
また、近年はJR姨捨駅も月見の場所として注目されています。標高547mに位置する姨捨駅のプラットフォームからは、千曲川対岸の山並みから昇る月を眼下に望むことができます。列車の車窓からは、長野盆地を見下ろす大パノラマを眺望でき、日本三大車窓の1つといわれています。

木曽路はすべて山の中

~ 山を守り 山に生きる ~

長野県、岐阜県

森林資源が地域の経済を支えていた木曽谷地域。この地域の森林に危機が訪れたのは、江戸時代初期のことでした。
城郭や社寺の建築に伴う木材需要の急増によって森林乱伐が進み、森林資源の枯渇という危機に陥りました。木曽谷を所管する尾張藩は森林保護政策に乗り出し、木曽谷の人々は新たな地場産業に暮らしの活路を見出しました。木曽漆器などの特産品は、江戸時代後期に街道整備が進んだことで増えた御嶽山の登拝客などによって、宿場から木曽路を辿り全国に広められました。
海から遠く、塩の調達が難しいことから、独自の食文化も生まれました。塩を使わず赤かぶの葉を乳酸発酵させた漬物「すんき」は、酸味を旨味として楽しむ伝統の発酵食品です。

日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅

~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~

静岡県

日本初の「旅の大ブーム」の火付け役は、駿府(静岡市)出身の十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」であり、歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵でした。
日本の「ガイドブックの原典」ともいわれる「浮世絵」「滑稽本」に惹かれ、自由な移動が制限される江戸時代でも人々は参詣や湯治と理由をつけて、物見遊山の旅へいそいそと出かけて行きました。かつて多くの人々を旅路へと誘った「東海道中膝栗毛」の物語の主人公、弥次さん喜多さんの「旅の楽しさ」は今も駿州エリア(静岡市・藤枝市)で体感できます。
江戸時代のガイドブックといわれる「東海道中膝栗毛」に登場する追分羊羹、安倍川もち、とろろ汁などのおいしい名物を味わって「旅の原点」を感じてみませんか?

日本茶800年の歴史散歩

京都府

お茶が中国から日本に伝えられて以降、京都府南部の山城地域はお茶の生産技術を向上させ、茶の湯に使用される「抹茶」、今日広く飲まれている「煎茶」、高級茶として世界的に広く知られる「玉露」を生み出しました。
この地域は、約800年間にわたり最高級の多種多様なお茶を作り続け、日本の生活に根付き、世界にも影響を与えている日本の喫茶文化をリードしてきました。
また、茶畑、茶問屋、茶まつりなど「日本茶のふるさと」を感じられる景観や伝統文化が、今なお残っています。近年は、スイーツづくりにも茶葉が使われ、多くの人々が舌鼓を打っています。

300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊

京都府

京都府北部の丹後を訪れると、どこからか聞こえてくるガチャガチャという機織りの音。丹後は古くから織物の里であり、江戸時代に発祥した絹織物「丹後ちりめん」は、しなやかで染色性に優れ、友禅染などの着物の代表的な生地として、我が国の和装文化を支えてきました。
この地は今も、着物の生地の約6割を生産する国内最大の絹織物産地です。織物の営みが育んだ、住居と機場が一体となった機屋や商家、三角屋根の織物工場の町並みが残っています。
「丹後ちりめん」の優れた織りの技術は現代に受け継がれ、和装だけでなく、洋装の服地のほか、寝具や小物などにも活用されています。

1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」

~竹内街道・横大路(大道)~

大阪府、奈良県

大阪城のお膝元の古代遺跡「難波宮」。ここから堺を経由し、奈良・飛鳥京へ至る道がありました。日本最古の国道である「竹内街道」と「横大路」です。
古代には、この道を通じて訪れた中国や朝鮮半島からの外交使節、遣隋使や遣唐使によって多くの文物がもたらされ、仏教が伝来し、聖徳太子らによって多くの仏教寺院が道沿いに建立されました。その後、江戸時代には、伊勢神宮参拝の道へと役割が変化していきました。太子から葛城に至る道中には、神社や伊勢への道しるべとなる灯篭、道標が今でも残り、かつてこの街が旅籠や茶屋で賑わっていた面影を見ることができます。
周辺の歴史遺産を通じて、 1400 年の歴史の移り変わりを感じさせる日本最古の国道。それが「竹内街道」と「横大路」です。

「伊丹諸白」と「灘の生一本」

下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷

兵庫県

江戸時代、伊丹・西宮・灘の酒造家たちは、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって上質な酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築きました。江戸では、関西・上方から送られた諸産物が「下り物」として好まれ、なかでも酒は「下り酒」として歓迎されました。
酒造家たちは、江戸積み酒造がもたらした富を芸術、文化、教育、建築に注ぎ、今日「阪神間モダニズム」と称される近代文化を育みました。
六甲山の風土と人に恵まれたこの地は、水を守り米を育てる人々、祭りに集う人々、酒の香漂う酒造地帯を訪れ蔵開きを楽しむ人々とともにあり、400年の伝統と革新の清酒が造られています。

『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」

~古代国家を支えた海人の営み~

兵庫県

わが国最古の歴史書である『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」。この壮大な天地創造の神話の中で最初に誕生する“特別な島”が淡路島です。
その背景には、新たな時代の幕開けを告げる金属器文化をもたらし、後に塩づくりや巧みな航海術で畿内の王権や都の暮らしを支えた、“ 海人”(あま) と呼ばれる海の民の存在がありました。“海人”が生産する塩や海の幸は都に運ばれ、天皇の食膳を司ることから、淡路島は「御食国(みけつくに)」として朝廷と深い関係にありました。
瀬戸内最大の淡路島は、古代国家形成期の中枢を支えた“海人”の歴史を今に伝える島といえます。

鯨とともに生きる

和歌山県

鯨は古来より、日本人にとって信仰の対象とされてきた特別な存在でした。
人々は、大海原を悠然と泳ぐ巨体を畏れながらも、時折浜辺に打ち上げられた鯨を食料や道具の素材などに利用していましたが、やがて生活を安定させるため捕鯨に乗り出しました。熊野灘沿岸地域の人々は造船や操船、泳ぎを得意とし、海に関する知識が豊富だったため、古くは熊野水軍として名を馳せ、源平の戦いでは海上戦で活躍しました。
江戸時代初期には捕鯨の技術や流通の仕組みを確立し、鯨に感謝し崇めながら、捕鯨とともに生きてきました。
今もこの地には、当時の捕鯨の面影を残す旧跡、鯨にまつわる祭りや伝統芸能、食文化が現代に受け継がれています。

「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅

和歌山県

日本生まれの調味料、醤油。その始まりは鎌倉時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた、特別な味噌に始まります。
この味噌の桶に溜まった汁の芳醇な味に紀州湯浅の人々が気づき、工夫を重ねて生まれたのが現在の醤油だといわれています。醤油はこの地から全国に広まり、今日では和食の文化とともに世界中の人々に認められています。
醤油の醸造業で栄えた町並みには、重厚な瓦葺の屋根と繊細な格子が印象的な町家や、白壁の土蔵が建ち並びます。通りや小路を歩けば、老舗醸造家から漂ってくる醤油の芳香が鼻をくすぐり、醤油造りの歴史と伝統が、形、香り、味わいとなって人々の暮らしの中に生き続けています。

神々や鬼たちが躍動する神話の世界

~石見地域で伝承される神楽~

島根県

島根県西部、石見(いわみ)地域に根付く神楽(かぐら)は、地域の伝統芸能でありながらも、時代の変化を受容し発展を続けてきました。
その厳かさと華やかさは、人の心を惹きつけて離しません。神へささげる神楽を大切にしながら、現在は地域のイベントなどでも年間を通じて盛んに舞われ、週末になればどこからか神楽囃子(かぐらばやし)が聞こえてきます。
老若男女、観る者を魅了する石見地域の神楽。それは古来より地域とともに歩み発展してきた、石見人が世界に誇る宝なのです。

出雲國たたら風土記

~鉄づくり千年が生んだ物語~

島根県

日本古来の鉄づくり「たたら製鉄」で繁栄した出雲の地では、今日もなお世界で唯一たたら製鉄の炎が燃え続けています。
たたら製鉄は、優れた鉄の生産だけでなく、原料砂鉄の採取跡地を広大な稲田に再生し、燃料の木炭山林を永続的に循環利用するという、人と自然とが共生する持続可能な産業として日本を支えてきました。
また、鉄の交易によって多くの富とさまざまな文化が集まり、たたら製鉄は地域産業の発展を支えながら、格調高い文化を育んでいきました。
今もこの地には、神代から先人たちが刻んできた鉄づくり千年の物語が終わることなく紡がれています。

「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま

~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~

岡山県

有名な昔話である「桃太郎」ゆかりの地、岡山県。吉備と呼ばれたこの地には、鬼ノ城と呼ばれる古代山城や弥生時代に造られた巨大な墳丘墓、その頂に楯のように並ぶ5つの巨石などの遺跡が残っています。
これらが「鬼」と「戦い」をイメージさせ、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅(うら)と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となりました。古くから語り継がれてきた伝説は後世に引き継がれ、「桃太郎」の原型になったとされています。
この地は、晴天の多い温暖な気候に恵まれ、桃太郎の名の由来となった桃が古くから栽培されてきました。また、桃太郎が犬、猿、雉を従えるために与えた「きびだんご」の原料の黍(きび)は、吉備の地名に由来するともいわれ、今では岡山土産の代表になっています。

藍のふるさと 阿波

~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~

徳島県

古くから日本人の生活に深く関わり、日本を代表する色彩である「藍」。
明治時代に日本を訪れた外国人は、「藍」で染められた衣服が日本中に溢れていることに驚き「神秘的なブルーに満ちた国」と絶賛しました。その神秘的なブルーを生み出したのが「阿波の北方」といわれる、徳島県北部の吉野川流域です。この地域に見られる、高い石垣と白壁の建物に囲まれた「藍屋敷」や、藍の流通を担った脇町に残る「うだつの町並み」、「阿波おどり」のリズムからは、全国を雄飛した藍商人のかつての栄華をうかがい知ることができます。
この地域では、藍染料が今も伝統的な技法で生み出されており、その色彩は人々を魅了し続けています。

森林鉄道から日本一のゆずロードへ

─ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化─

高知県

高知市内から、東に約50キロに位置する中芸地域。かつて西日本最大の森林鉄道が駆け巡った中芸は、林業に代わる産業としてゆず栽培に力を注ぎ、今や日本一の生産量を誇っています。
木材を運んだ森林鉄道の軌道は、ゆず畑の風景広がる「ゆずロード」に生まれ変わりました。川沿いや山間に広がるゆず畑を、小さくかわいい白い花、深く鮮やかな緑の葉、熟すとともに濃くなる黄色の果実が季節ごとに彩ります。中芸一帯を走るゆずロードを巡れば、ゆずの香りと彩りに満ちた景観と、ゆずの風味豊かな食文化を満喫することができます。

砂糖文化を広めた長崎街道

~シュガーロード~

福岡県、佐賀県、
長崎県

室町時代末頃から江戸時代に、西洋や中国との貿易で日本に流入した砂糖は、日本の人々の食生活に大きな影響を与えました。
なかでも、海外貿易の窓口であった長崎と小倉をつなぐ長崎街道沿いの地域には、砂糖や外国由来のお菓子が多く流入し、独特の食文化が花開きました。現在でも、宿場町をはじめ、当時の長崎街道を偲ばせる景観が残るとともに、西洋や中国に起源を持つ個性豊かなお菓子が作られています。
輸入砂糖やお菓子と関わりの深い長崎街道「シュガーロード」では、歴史だけでなく、400年以上もの時をかけて発展し続ける砂糖やお菓子の文化に触れることができます。

日本磁器のふるさと 肥前

~百花繚乱のやきもの散歩~

佐賀県、長崎県

陶石、燃料(山)、水(川)など、窯業を営む条件が揃う自然豊かな九州北西部の地「肥前」は、特色あるやきものが生み出される日本磁器のふるさとです。
有田で芽吹いた磁器生産の技術は、各地で発展し、それぞれの産地が互いに切磋琢磨しながら独自の華を開かせていきました。そうした製品は全国に流通し、我が国の暮らしの中に磁器を浸透させるとともに、海外からも賞賛されています。400年にわたり紡がれてきた肥前の窯業の歴史や文化は、地域の景観の中に今なお息づいており、青空に向かってそびえる窯元の煙突やトンバイ塀は、脈々と続く窯業の営みを物語ります。
肥前の地は、歴史と伝統が培った技と美、景観を五感で感じることのできる磁器のふるさとです。

国境の島 壱岐・対馬・五島

~古代からの架け橋~

長崎県

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県にある国境の島は、古代より日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点でした。特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代に海上交易で王都を築き、対馬は中世以降に朝鮮との貿易と外交実務を独占したことで、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えました。古代住居跡や城跡、庭園等などは当時の興隆を物語り、島の特産品や民俗行事には交流の痕跡が残っています。
壱岐の特産品「壱岐焼酎」は、大陸から伝わったとされる蒸留法を取り入れ、今では世界に誇るブランドとなっています。
また、対馬の「対州そば」は大陸から伝わったそばの原種に近いとされ、 「五島うどん」は遣唐使の時代に中国から五島列島に伝わったのが最初といわれています。

相良700年が生んだ保守と進取の文化

~ 日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨 ~

熊本県

人吉球磨の殿様であった領主・相良氏は、急峻な九州山地に囲まれたこの地で、日本史上でも稀な700年という長きにわたる統治を行いました。そのなかで社寺や仏像群、神楽等などを信仰し、楽しみ、守る文化が育まれ、進取の精神で外来の文化を吸収したことで、独自の食文化や遊戯、交通網が整えられました。
また、数百年の歴史を誇る「球磨焼酎」の発展も、貴重品である米を原料とする米焼酎の醸造を認めた領主・相良氏の寛容さあってこそといえるでしょう。
この地には、保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存しており、司馬遼太郎はこの地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記しています。

米作り、二千年にわたる大地の記憶

~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

熊本県

二千年にわたる米作りによる大地の記憶が残る、熊本県北部の菊池川流域。平地には碁盤状に区画された千年以上続く田園風景、山間には棚田と高地での米作りを可能にした用水路、そして海辺には広大な耕作地を生み出した干拓を見ることができ、先人の英知と情熱による土地利用の広がりがうかがえます。
この地域は、江戸時代に「天下第一の米」と呼ばれる肥後米の中心産地として発展していきました。将軍の御供米(神仏に捧げるお米)としても用いられ、大阪では千両役者や横綱へのお祝い米として「肥後米進上」という立札をつけて贈られました。
菊池川流域は、現代でも全国で最高位の評価を受け続ける、日本有数の米どころです。

薩摩の武士が生きた町

~武家屋敷群「麓」を歩く~

鹿児島県

勇猛果敢な薩摩の武士を育んだ地、鹿児島。この地には、本城の鹿児島城跡や麓と呼ばれる外城の中心地には武家屋敷群が数多く残っています。
麓は防御に適した場所に作られ、門と玄関の間に生垣を配置するなど、まるで城の中のように敵に備えた構造をしています。そこでは、武士が心身を鍛え、農耕に従事し、平和な世にありながら武芸の鍛錬に励みました。武士の活躍は明治維新を成し遂げるための大きな力となり、日本を近代化へと突き動かしていきました。
薩摩の武士が「ダレヤメ」 (疲れを取るための晩酌の意)をするのに楽しんださつま揚げや芋焼酎も、お礼品として選ぶことができます。

琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、
そして「芸能」 

沖縄県

沖縄県はかつて琉球王国と呼ばれ、独自の文化を形成してきました。
琉球王国は海外との交易を通じて発展し、礼節をもって外国からの賓客を迎え入れました。特に、中国皇帝から派遣された冊封使節団の滞在期間は約半年間に及ぶほど大規模で、宴は国を挙げての重要な行事でした。国賓の歓待には欠かせない食については、中国に料理人を派遣して学ばせるほど力を入れ、調理技術や作法などが洗練されていきました。
こうして確立された琉球王国の「宮廷料理」をはじめ、御用酒泡盛、宴を盛り上げた芸能は、沖縄の誇りとして今も県民に親しまれています。

きっと恋する六古窯

─日本生まれ日本育ちのやきもの産地─

福井県、愛知県、
滋賀県、兵庫県、
岡山県

瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波、備前のやきものは「日本六古窯」(にほんろっこよう)と呼ばれ、中世から今日まで日本古来の技術を継承している、日本生まれ日本育ちの、生粋のやきもの産地です。
千年の時をかけて培ってきた六古窯の技術と文化は、日本のやきもの史に深く刻み込まれています。高温で長時間焼き上げる器は丈夫で割れにくく、使用される土や成形技法、焼成技法などさまざまな条件により、作品の質感や色、窯変などが異なり、ひとつとして同じものはできないといわれます。
多くの人々の心をとりこにし、六古窯の名で親しまれるやきものを、ふるさと納税のお礼品として選んでみませんか?

鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴

~日本近代化の躍動を体感できるまち~

神奈川県、京都府、
広島県、長崎県

明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務でした。このため、国家プロジェクトとして、天然の良港を4つ選び軍港を築きました。
静かな農漁村に人々と先端技術を集積し、海軍諸機関とともに水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた4つの軍港都市が誕生しました。
100年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港4市は、どこか懐かしくもたくましく、今も訪れる人々を惹きつけてやみません。

“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島

―よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶―

広島県、愛媛県

戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスから"日本最大の海賊"と称された「村上海賊」“Murakami KAIZOKU”。
理不尽に船を襲い、金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に、「村上海賊」は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業としていました。その本拠地であり、尾道・今治をつなぐ「芸予諸島」には、活動拠点として築かれた海城群など、村上海賊の記憶が色濃く残っています。
「村上海賊」をテーマにした今治市の博物館「村上海賊ミュージアム」では、その歴史を紐解く貴重な資料を展示しています。
ミュージアムのオリジナルグッズを、ふるさと納税のお礼品として選んでみませんか?

関門“ノスタルジック”海峡

~時の停車場、近代化の記憶~

山口県、福岡県

古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設されました。
狭い海峡を外国船が行き交う景観のなか、日本が近代国家建設へ向けて躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現代まで残っています。
お礼品として、この町並みをパッケージに描いたコーヒー、1925年に竣工した赤レンガの歴史ある工場で製造されている焼酎、代表的な郷土料理であるフグ料理を紹介しています。

さとふるは、文化庁と「日本遺産オフィシャルパートナーシップ」を締結し、
日本遺産地域の活性化に向けた取り組みを推進しています。

※参考: [プレスリリース] さとふる、文化庁と「日本遺産オフィシャルパートナーシップ」を締結 ~日本遺産35件を掲載する「ふるさとの歴史的魅力に触れよう 日本遺産特集」を公開~

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