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ふるさと納税 そば特集

そば特集

和食は世界に誇る日本の文化です。日本を代表する料理といえば寿司や天ぷら、そしてそばが挙げられます。現在日本には多くの麺類がありますが、そばは古くから食べられてきた日本料理なのです。歴史の古いそばは、地域によって食べ方や料理方法が異なります。ふるさと納税を利用して、全国各地のそばを味わってみませんか。

北海道

北海道はそばの生産量が全国第1位で、なんと全国のそば収穫量の4割以上を占めています(※農林水産省 作物統計 (平成28年)より)。今でこそ郷土料理などで注目されていますが、安定して米が収穫できない地域では、そばは主食となる重要な作物でした。
そばは寒冷地でも栽培が容易なことから、長い間救荒作物(きゅうこうさくもつ)として栽培され、重宝されてきました。現在では、多様なそばの品種や地域ブランドが生まれています。

東北地方

東北地方は冷涼な地域であり、昔から救荒作物としてのそばが栽培されてきました。現在では、有名な岩手の「わんこそば」や山形県の「板そば」をはじめ多くのご当地そば・名物そばがあります。
青森県には「津軽そば」があります。津軽そばとは、もともとは大豆をすりつぶしてペースト状にしたものをつなぎに用いて作るそばの郷土料理のことでしたが、手間がかかることから作り手や店舗が減少し、津軽地方のそば全般を指すことも多くなっています。
岩手県のそばといえば、名物「わんこそば」です。ゆでたそばをさっとつゆにくぐらせ一口分を椀に入れ、一口分を食べ終わるごとに給仕の人が次のそばを入れていくものです。
昔から岩手では、宴会の最後の締めに「お立ちそば」といって温かいそばを振る舞う風習があったと言います。当時の宴会は大人数のため、大きな釜でそばをゆでてもとても出席者全員分には足りませんでした。そこで、人数分に小分けしてお椀に入れ、その間に次のそばをゆで、別のお椀でおかわりを勧める、というわけです。遠方からの来客がお腹いっぱいになるまでもてなすため、現在でも客がお腹いっぱいになり蓋を閉めるまでおかわりを入れ続けるスタイルが主流となっています。
山形県では古くから板や木箱にそばを盛り付けて振る舞う「板そば」が有名です。板そばは山形県の内陸部のそばの食べ方で、大きな長い板や長方形の木箱にそばを盛り、何人かで分けて食べ合いました。同じ板から食べた人との関係や仕事が、「こぼれ落ちる」ざるではなく、「板につきますように」、さらに「細く長くそばにいられますように」との験(げん)をかついだと言われています。
また、「山形そば」といえば「田舎そば」が主流で、これはそばの実を殻ごと挽くので色が黒っぽく、太く硬めの麺となっています。「全日本乾蕎麦大賞」を受賞した「奴そば(やっこそば)」は、河北町谷地の豊かな自然が生み出した田舎そばです。そば粉・小麦粉・水、すべてにこだわって作られていて、そばの香りが感じられる一品です。またそばの実の中心から外殻まで丸ごとの「挽きぐるみそば粉」を使用した太打ちの「山形のさがえそば」や、細打ちの「ほっそり細そば」、力強いそばの薫りが広がる「薫そば」などもお礼品として用意されています。さらに河北町発祥のソウルフードと呼ばれる「かほく冷たい肉そば」や、自分でそばを打ちたい人のために「そば粉」「打ち粉」もあります。

関東地方

関東地方にも名物そばがたくさんあり、「日光そばまつり」や群馬県の「ちぃじがき蕎麦の里花まつり」など、そば祭りが開催される地域も少なくありません。
茨城県では「常陸秋そば」がそばのブランド品種として有名です。茨城は実は北海道に次いでそばの生産量が多い県。昼夜の気温差が大きく水はけのよい土地であることから、茨城県の北部はそばの栽培に適していて、江戸時代からそばの産地でした。昭和53(1978)年に当時の茨城県農業試験場(現 茨城県農業総合センター)がそばの地域ブランド品種の育成に着手し、現在では県内で栽培されるそばのほとんどが「常陸秋そば」となりました。寒い時季には郷土料理でもある「けんちんそば」「つけけんちんそば」として食べられています。
そんな茨城県では、ふるさと納税のお礼品として常陸秋そばの栽培体験ができます。また自宅でそば打ちをする人ためにそば粉と打ち粉も用意されています。もちろん「常陸秋そば」自体のお礼品もあり、県内で栽培し丁寧に石臼で挽いたそば粉で作ったそばが届きます。
栃木県では、そば栽培に適した風土の日光市が古くからそばの産地でした。老舗のそば屋はもちろん、町おこしなど地域活性化により新しくできた店舗も多くあります。現在では毎年秋に「日光そばまつり」が開催され、日光市だけでなく各地のそばを食べ歩くことができる人気のイベントになっています。栃木県からは地元の素材にこだわった「田舎そば」がお礼品として用意されています。
神奈川県からは、国産の材料にこだわり、よもぎを練り込んだ「よもぎそば」や足柄茶を練り込んだ「足柄茶そば」、また「季穂(きすい)足柄古式生そば」や「季穂石臼生そば」を用意しています。
東京都でそばといえば深大寺周辺に伝わる「深大寺そば」が有名です。また現在では広く普及している「とろろ蕎麦」は、八王子市の高尾山の麓で提供されたのが始まりとされます。

中部地方

長野県といえば「信州そば」。信州そばは一般的に長野県で作られるそばの総称です。現在全国で食べられている麺状のそば「そば切り」は信州が発祥の地だと言われています。出雲そばや越前そば、にしんそばといった全国各地で有名なそばも、元をたどれば信州であるとか。昭和58(1983)年に長野県は信州そばを選択無形民俗文化財に指定しています。
そんな長野県のお礼品はやはり「信州そば」。「七割そば」「八割そば」といったつなぎの小麦粉の比率を変えたものや「生そば」など、信州で作られるいろいろなそばが用意されています。
福井県では「越前そば」が有名です。越前そば、あるいは越前おろしそばは福井県の嶺北(れいほく)地方で食べられている料理で、主に大根おろしで食べます。2007年には農山漁村の郷土料理百選に選ばれました。越前そばはそばがらまで一緒に挽いたそば粉で作るため、黒っぽい麺でより風味が強いものとなっています。大根おろしを用いて食べるのが特徴で、これは醤油もつゆもなかった時代に、そば切りを大根汁につけて食べたのが始まりです。
岐阜県のお礼品には奥飛騨で栽培・製造した「奥飛騨朴念そば」があります。奥飛騨朴念そばは、東海・北陸6県の中で初めて農林水産省の「そば登録品種」に認定され、国土交通省からは中部9県の代表的観光資源として「昇龍道春夏秋冬百選」に選定された「二冠」のそば品種で、香り・粘り・甘みのある、しっとりと落ち着いた麺が特徴です。
静岡県では、全国的にも珍しい「牛乳そば」があります。函南町(かんなみちょう)の地域ブランド「丹那牛乳」を100%使用して練り上げ、しっとりとしたなめらかなのどごしの麺が出来上がりました。牛乳だけで練り上げた麺のため、クリームソースなどとの相性がよく、パスタのように料理しても美味しく食べられます。

近畿地方

兵庫県からは、兵庫県観光連盟の推薦品であり、ふる里特産品などの認証も受けた「夜久野そば」があります。国産の玄蕎麦(げんそば=殻のついたままのソバの実)だけを使い、皮を取り除いた実を丸ごと製粉した、しっとりもちもちの甘みがあるそば粉と、粟鹿山(あわがやま)水系の地下48メートルから汲み上げた地下水を使用し、真空ミキサーで練り上げることによってコシがしっかりしたそばが出来上がります。また「兵庫県認証食品」「小野市うまいもんブランド」の認証を受けた人気店の「きすみのそば」もあります。
京都からは、京都府福知山市産のそば粉を使ったそば「丹波ノ霧」と「焙煎粗挽きそば」があります。「丹波ノ霧」は、そばの実の皮を取り除いて製粉したそば粉「丸抜き粉」をふんだんに使い、雑味が少なく香り高い白地の麺に粗挽きしたそば殻をちりばめてそば殻の食感を残した香ばしいそばです。焙煎したそばは何もつけずに、あるいは少量の塩をつけて食べるといっそう香りが引き立ちます。また古くから名水が流れる犬甘野(いぬかんの)地区は、手打ちそばやそばの花が有名です。半生タイプの「犬甘野そば」や、近年開発した「そばパスタ」が用意されています。

中国地方

島根県では「出雲そば」が有名です。出雲そばは島根県の出雲地方で食べられる郷土料理の一つで、「割子そば」「釜揚げそば」などがあります。割子そばは三段になった丸い漆器に盛られたそばで、この形式は江戸時代に松江の人々がそばを弁当箱に入れ外で食べていたのが元になっています。割子とは出雲地方で重箱のことを言い、当時の割子は正方形や長方形だったのですが、洗いにくく衛生面に問題があるという理由から現在の形になりました。釜揚げそばは、釜や鍋でゆでたそばを水洗いせずにそのまま器に入れてそば湯をかけ、つゆと薬味を加えて食べます。
鳥取県からは大山(だいせん)の裾野で育った自然薯(じねんじょ)を10%もつなぎとして練り込んだ「自然薯そば」が用意されています。山陰産のそば粉と天然水、自然薯を使い、「低温熟成乾燥製法」で素材の風味を損なわないように作り上げました。切れにくく、のどごしのいいのが特徴です。

九州地方

九州地方は、どちらかといえば、そばよりもうどん文化の方が強い地域です。そばが高冷地に適した植物であることもあり、比較的温暖な気候の九州では、各地に名物そばはありますが、地域活性化プロジェクトの一環として平成13年に始まった福岡県の「弁城(べんじょう)そば」をはじめ、比較的新しいものが多く見られます。
長崎県からは大陸の原種に近いそばの実を使った「対州(たいしゅう)そば」が用意されています。対州そばは、古い時代に大陸から対馬(つしま)に伝わったそばが、品種改良されず原種に近い状態で残ったものです。比較的太めに打ち、出来たての麺を、じっくり煮込んだ地鶏のスープで食べるのが定番です。対州そばは現在も対馬のソウルフードとして愛されています。また“名水の町”諫早市(いさはやし)には幻の「高来(たかき)そば」があります。高来そばは、かつて諫早市のどこの農家でも米や野菜のそばで栽培していましたが、時が経つにつれて生産者が減っていきました。平成22年になると、地元の農家を中心とした有志によって、昔から伝わる高来そばを絶やしてはいけないと「幻の高来そば振興協議会」が発足します。高来そばをもっと広め、地域の活性化につなげようと、町内の休耕地などを利用してそばの栽培を始めました。高来そばを使った郷土料理「どろりそば」はその名前のインパクトもあってテレビ番組などで時折紹介されています。
大分県からは湯布院町(ゆふいんちょう)産のそば粉を使用した「生そば」、九州産のそば粉を使用している「黒そば」「白そば」、抹茶を練り込んだ「抹茶そば」などが用意されています。
沖縄県には有名な「ソーキそば」がありますが、これにはそば粉は使われておらず、小麦粉とかん水で作ったものです。沖縄県は食物としてのそばは栽培されてこなかった地域であり、これまでそばの実を使った食文化はなかったと言われています。沖縄に日本そばが入ったのは戦後のことで、比較的新しい味と言えるでしょう。

ふるさと納税のお礼品といえば、ブランド肉や果物といったもののイメージが強いかもしれませんが、そばやうどんなど麺類も多く用意されています。今回ご紹介したそばは日本を代表する和食の一つです。
そばは、穀物の「ソバの実」を挽いた「そば粉」を水でこねて作った麺のことです。材料はそば粉と水で、「つなぎ」を用いることもあります。つなぎは主に小麦粉で、他にも長芋や山芋、鶏卵などを使用するものもあり、つなぎの違いによって独特のコシや色、食感が生まれます。また風味付けとしてその他の食材が使われることも珍しくなく、有名なところでは抹茶を使った「茶そば」や、柚子や梅などを加えて季節感や地域性を出すこともあります。
今や一年中食べることができるそばですが、実は旬の季節があります。新米と同じように、新蕎麦と言って、その秋に収穫したそばの実から作ったそばを指します。そのため、そばを収穫する時期になると多くの地域で「そば祭り」が開催されます。
そばの歴史は非常に古く、9000年も前から食べていたと言われます。そばは稲ほど土地を選ばず、痩せた土地や冷涼な気候でも育つことから、北は北海道から南は鹿児島まで、古くから栽培されてきました。
高知県にある遺跡からは、およそ9000年前のそばの花粉が確認されています。日本の主食である米が食べられるようになったのは約3000年前ですから、それよりずっと前からあったことになります。それにもかかわらず、そばが主食にならなかったのは、その食べにくさに原因があったと考えられます。
そばの実の殻である「そばがら」は非常に硬く、当時は硬い石でひたすら叩いて粉にしてから食べていました。一方、米を包んでいる「もみがら」は簡単に取れます。稲作が伝わって以降、米が主食になるのは自然な流れと言えるでしょう。
しかしそばは米が入ってきてからも、凶作時に備える食糧として栽培され続けてきました。その理由は、そばが稲よりも強かったことにあります。旱魃(かんばつ)や寒さに弱い稲とは違い、そばは乾燥や冷涼な気候にも強く、広い地域で栽培が可能であったため、凶作の年でもある程度の収穫が見込めるとして「救荒作物」となりました。
現在の「そば」は細長い麺ですが、それは16世紀頃より後のスタイルです。それまでは、そばといえば「そばもち」や「そばがき」といった、そば粉を湯でこねて餅状にしたものが主流でした。現在の形のそばは包丁で細く切ることから「そば切り」と呼ばれ、江戸中期の1706年にはすでに信州で広く食べられていたことがわかっています。一方でそば切りがいつ誕生したかは今でも明確になっておらず、その起源については現在も議論が続いています。
そばが記載された最も古い文献は、797年に完成した『続日本紀(しょくにほんぎ)』という史書です。奈良時代前期の元正天皇が、その年の夏は雨が少なく米の収穫が見込めないため、小麦やそばを植えるように、というようなことを言ったと伝えられています。ここからも、当時そばは非常食であったことが読み取れます。
鎌倉時代に入ると、中国から石臼が伝えられます。石臼によってそばがらを挽くのが比較的容易になり、そば粉の大量生産が可能になりました。これによって、そば粉を熱湯で練った「そばがき」や「そばもち」などが普及することになります。
そば切りが記述された文献では、1574(天正2)年に長野県の南西部にある定勝寺というお寺でしたためられた「定勝寺文書」の中に「ソハキリ」という言葉が登場しており、これより前の文献では今のところ見つかっていません。そのため、明らかになっていないことは多いものの、そば切りは16世紀のどこかの時点で誕生したと考えられています。
江戸時代に入った17~18世紀頃に、そば粉に「つなぎ」の小麦粉を混ぜる製法が考案されたと言われています。その頃から、そば粉と小麦粉の比率によって、そば粉のみのそばを「十割(じゅうわり)」、小麦粉2割そば粉8割のものを「二八」、小麦粉3割そば粉7割のものを「三七」、等量ずつのものを「半々」などと呼ぶようになりました。
また現在まで続く「そば屋」が誕生したのも江戸時代だとされています。江戸の麻布永坂町において、江戸暮らしをしていた信州の行商人が1789(寛政元)年に「信州更科蕎麦処」を構えました。「更科(さらしな)そば」はそばの実の中心のみを挽いた白い上品な麺で、信州からの直売を売りにしたこの更科そばは江戸中で流行るようになります。また雑司が谷や本郷などで「藪そば」が誕生します。更科そばや藪そばを提供するそば屋をさきがけとして、江戸中にそば屋は広まっていきました。1860(万延元)年には、江戸府内にそば屋が3,763店もあったと言われます。
凶作に備える食品だったそばが「ハレの日の食品」として生まれ変わったのも江戸時代のことです。「ハレ」というのは、祭りや儀式といった「非日常」の意味。大晦日に食べる「年越しそば」や引っ越しの挨拶時に配る「引っ越しそば」が定着したのは江戸時代の中期とされています。年越しそばは、もともと金銀細工師が飛び散った金粉や銀粉をそば粉を利用して集めていたことから、縁起をかついで掛金の回収前にそばを食べるようになったのが始まりと言われています。また引っ越しの挨拶では「そばに参りました」との意味をかけて、そばを配る習慣ができたと考えられます。
そばは食べ方も一つではありません。「ざる蕎麦」や「ぶっかけ蕎麦」「かけ蕎麦」をはじめ、地域によって食べ方が異なります。薬味や具材も大きく異なり、またそばが育つ土地や気候、使用する小麦粉や水によって麺自体の味わいも全く違ったものになります。
ここまで紹介してきた中でも、聞いたことのないそばのブランドや品種があったのではないでしょうか? ふるさと納税を利用して、全国各地のそばを食べ比べしたり、お気に入りのそばを見つけたりして、心ゆくまでふるさとのそばをご堪能ください。

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