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2ページ 事例に見る、ふるさと納税 広域連携で 周辺自治体と協創 沖縄市

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れば」と仲間氏。

また今後は、「スポーツのまち」としてのPRと交流人口の拡大の両面を図るため、FC琉球、琉球ゴールデンキングスのグッズなども返礼品に加える方針だ。

伝統工芸品の後継者育成で「知花花織」を現代に復活

沖縄市らしい返礼品として特筆したいのが、国の伝統工芸品に指定されている知花(ちばな)花(はな)織(おり)である。知花花織とは、旧美里村知花、登川地域などの集落で古くから織られ、18世紀頃から口頭伝承で技術が伝えられ、庶民の晴れ着用に織られてきた。花織の模様には、縦方向に連続して浮く経(たて)浮(うき)花織と、刺繍のように糸が浮く縫(ぬい)取(とり)花織の2種類がある。多くの花織は横方向に緯(ぬき)糸(いと)が浮いて柄が出るが、知花花織は縦方向に浮糸が浮いて模様を出すため、すっきりとしたモダンな印象だ。しかし、沖縄戦での知花地域の壊滅的な打撃や、アメリカ文化の影響による郷土文化の風化など、度重なる外的な影響により、一時は存続が危ぶまれる時期もあった。さらに近年は、後継者の育成と定着が課題となっていた。

そのような事情を背景に、沖縄市では知花花織の産業化を進めるため、平成12年より人材育成と技術研修を行ってきた。また、素材やデザインの研究開発と商品開発、流通・販路網の確立をしながら事業として成長していくため、平成20年に知花花織事業協同組合を発足。平成22年3月に県の伝統工芸製品に指定され、平成24年には沖縄県から23年ぶりとなる経済産業省指定の伝統的工芸品に加えられた。

沖縄市の地道な地場産業の支援及び育成により、知花花織の知名度は徐々に全国区へと広まりつつある。近年は、知花花織の美しさに魅せられ、関東圏から移住し、知花花織事業協同組合で技術を習得したのち、染織作家として独立する女性も出てきた。平成28年時点で、織り手の数は約50名に増えている。

沖縄の染織の多くは、琉球王府への上納品として厳しい制度の下で作られていたため、織り手の自由な感性で織られることはなかった。これに対し知花花織は、あくまで自分たちが着る祭りの衣装や晴れ着として作られてきた。女性たちの自由な感性を大切にしてきた歴史と文化があるからこそ、基本の模様をベースとしながらも現代のライフスタイルに合ったモダンな商品が数多く生み出されているのだろう。

「知花花織の生産の担い手は女性たち。デザインの作成から糸染め、織上がりまでの全工程を一人で行うので、織り手によって商品の人気ぶりが異なります」と仲間氏。すべてが手作業によって行われるため、当初、知花花織事業協同組合では返礼品として出すのは難しいのではないか、との懸念があったという。しかし、さとふるが全体の在庫数を把握し、1日の注文個数に上限を設け、在庫数の中でコントロールするということを話し合った結果、返礼品の協力事業者としての参加が決定したそうだ。

現代では、名刺入れやネックストラップなどの2次加工品として販売されており、沖縄市の職員の間でも積極的に使用している人が多いという。

寄附件数の上位は女性の関心が高い子ども関連

若者の自由な発想力、地域住民の行動力、先人から受け継がれた経験と知恵を大切にしてきた沖縄市では、「活力あふれる、市民が夢と希望をもてるまちづくり」を基本姿勢に、寄附金の使途として以下の3つのテーマ(市長におまかせを除く)を用意している(図2-5-1)。

1つ目は、「エイサーのまち応援」である。沖縄の民俗芸能であるエイサーは、沖縄市の「沖縄全島エイサーまつり」として継承・発展し、今や本土の若者や外国人にも受け入れられ、「世界エイサー大会」が開催されるまでの大きなムーブメントになっている。そうした地域の誇るエイサー文化の継承発展と青少年の健全育成、文化の香り高いまちづくりにむけ、平成19年に「エイサーのまち宣言」を行なっている。

2つ目は、「こどものまち応援」である。平成17年度の国勢調査で15歳未満の子どもの割合が全国でもっとも高い都市であることが発表されたことを受けて、「こどものまち宣言」を行なった。さらに平成24年には、子どもや子育てを支援するため、沖縄市役所には「こどものまち推進部」という新たな部署が設置されている。

3つ目は、「音楽のまち応援」である。沖縄市の「チャンプルー文化」ともいわれる独特の文化を育んできた地域性を活かし、音楽の産業化や人材育成、市民文化の向上や地域の活性化を図ってくことを目的としている。

沖縄市で寄附件数がもっとも多いのが「こどものまち応援」(約150件)で、次いで「エイサーのまち応援」(約70件)、「音楽のまち応援」(約50件)の順となっている。(平成27年度実績)

さとふるのサイトではエイサーの写真が一番大きく掲載され、使途としても1つ目に挙げられていることから、「エイサーのまち応援」がもっとも寄附者の関心を引きやすいと想定していたが、実際にはそうではなかった。第1章で前述の通り、妻が専業主婦であるか扶養控除の範囲内である場合、控除上限が低くなるため、妻が夫名義でふるさと納税を申込む、あるいは、夫が主体的に申し込んだ場合であっても、家族と希望の返礼品について話し合うことが想定される。したがって、使途についても妻の意向が色濃く反映され、「こどものまち応援」がも っとも寄附件数が多いという結果になったものと推測している。

また、平成27年度の寄附件数614件を寄附者の居住地に分けると、沖縄市内が21件、沖縄県の市外が26件、県外が567件となっている。

県内の市外在住者からも寄附があるのは、ここ数年でふるさと納税制度の注目が高まり、比較的取り組みが早かった沖縄市に寄附が集ま ったものと考えられる。

本格参入2年目に向けて返礼品の掘り起こしを強化

ふるさと納税の本格的な取り組みから1年弱が経過した。当初は3事業者、17品目からスタートしたが、平成28年8月26日現在8事業者、 27品目にまで増えている。

「1回目の説明会には参加したものの、返礼品の協力事業者となるまでに至らなかった事業者を中心に、改めて訪問しているところです。直接伺って話をすることで、新たに参加される方が増えています。最初は様子見だった事業者も、制度への理解が深まれば参加していただけることが分かり、私たちも手応えを感じています」と仲間氏。

これに対し、嘉陽田氏は「最初は様子見だった理由が分かってきた」といい、こう続ける。「沖縄市は第三次産業の比率が72%と、県内でもっとも高水準です。また、返礼品といえば地元の産品というイメージも強いので、小売業やサービス業を営む事業者は、返礼品として何を出したらいいのかが分からなかったようです。こうした反省を活かし、改めて回った際には、こちらから具体的に返礼品の提案を行うようにしています」。その結果、7月より複合施設「コザ・ミュージックタウン」の指定管理者であるミュージックウェーブから島唄ライブチケットが新たに返礼品として追加されることになった。

一方、関連部署の職員と行動を共にする機会が増えるにつれ、職員の意識にも変化が表れている。

「沖縄市の職員として沖縄市の地域活性化のためになることをやっている、という気持ちで取り組んでいることが感じられます」と仲間氏。

嘉陽田氏も仲間氏の話に頷きながら、こう続ける。

「ふるさと納税はいつ終わるか分かりません。制度が終わっても商品力が下がらないように、今のうちに地場産業の育成と地域活性化に取り組まなくてはならないという意識を、全職員に持ってほしいという気持ちもあって、他部署を巻き込みながら取り組んでいます」

また、本格参入の2年目に向けては、事業者への声掛けで注意も必要だという。

「なかには、インターネット等による販路拡大を行わず、普通の生活ができるくらい収入があればいい、という事業者もいるので、無理強いはできません。その一方でふるさと納税をきっかけとして販路拡大に向けたモチベーションが高まっている事業者については、市としてさまざまなバックアップを行っていきたいと考えています」(仲間氏)

「ゆいまーる精神」で広域連携を促進

沖縄本島は大きく中部・南部・北部と3つに分けられるが、そのうち沖縄市を中心に中部の9市町村よって中部広域市町村圏事務組合が結成されている。これまでさまざまなソフト事業に共同で取り組んできたが、組合を軸とした観光周遊プランの開発も沖縄市の目指すところだ。市町村の枠を超えて広域で連携し、滞在型観光の推進につながる様な事業展開も検討している。

近隣の自治体間で寄附額を競争するよりも、広域連携による“協創”を選んだ沖縄市には、沖縄の地に根付く「ゆいまーる精神(助け合い精神)」が感じられる。本土復帰から44年を経ても、忘れてはいけない精神を大切にしながら、沖縄市はさらなる発展を続けていくに違いない。

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