地域情報(宮城県丸森町)
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宮城県の南端に位置し、東北第二の大河である阿武隈川が町の北西部を貫流する、阿武隈山脈の支脈に囲まれた盆地の町・丸森町。そんな丸森町で、世界で通用するビジネスを創造する起業家を誘致・育成するプロジェクトが立ち上がった。
地域の活気を増幅させる人材として“起業家”に着目
丸森町はその自然の豊かさや東北でも比較的温暖な気候であることに加えて、周辺地域と比較して地盤がしっかりしていることなどから、以前から丸森町へ移住してくる人たちは決して少なくなかった。とはいえ、一部はその後町外へ再び転出してしまったり、子ども世代が進学や就職をきっかけに丸森町を出てしまったりするほか、日本全体が人口減少しているなかで今後町の人口総数を増やすことは決してたやすくない状況にある。
「20年位前から移住者がすこしずつ転入してくるようになりましたが、移住されてきた方々は主に丸森の自然を活かして生計をたてていらっしゃいます。一方で今後は自然に限らず、既成概念に囚われないで多種多様な視点で丸森町の潜在要素や可能性を見い出してもらうことで、新たな産業を創り育てる必要があると考えました。」と丸森町商工観光課 課長の木皿理氏は語る。
そこで丸森町では地域資源を活用して新たな生業を創ることが出来る人材として“起業家”に着目。そして東北で起業家支援を手掛ける一般社団法人MAKOTOに今回のプロジェクト事業を委託するに至った。
プロジェクトを手掛けることになったMAKOTO代表理事の竹井智宏氏は「いくら起業家にとって魅力的な支援策を設けようとも、ただそれだけでは“なぜ丸森町でないといけないのか”という理由にはなりえません。そしてその答えとして唯一且つ最大なのは“自分の故郷だから”、それに勝るものはありません。」と語る。
確かに地域活性化の先行事例とされている地域は、外で幅広い視野やビジネス力をつけてUターンしてきた人材がキーパーソンとして動いていることが多い。実際MAKOTOの支援先である株式会社GRAの代表・岩佐大輝氏は宮城県山元町出身で、大学卒業後に東京でIT企業を起業。その後東日本大震災をきっかけにUターンして、地場産業であるイチゴ産業の復活を目指してGRAを立ち上げ、現在では地元雇用はもちろん移住者雇用の受け皿にまで成長している。
そこで竹井氏は丸森町出身の起業家にUターンを働きかけるのが一番ではないかと考えた。そしてその人材像として「首都圏でもアクティブに動いていた、自ら仕事を創り出せる人材」、そして「地域内を商圏とするのではなく、地域外の需要を獲得できるビジネスを創り出せる人材」とターゲットを設定して、現在候補者探しを進めている。
江戸時代の起業家の屋敷で平成の起業家を育成!
一方でいくら有能でも、全ての分野に長ける人物はそうそういない。また一人では悩みを抱え込んでしまい、事業推進がおぼつかなくなってしまう懸念もある。そこでMAKOTOではUターン起業家だけでなく、IJターンの起業家やその卵たちを集めるとともに、既に丸森町に住んでいる住民もプロジェクト対象として含めることで、一人の絶対的パワーに依存するのではなく、丸森町全体を一つの“ベンチャー”と見立てて町全体の稼ぐ力やプレゼンスを高めようと考えている。
そんな起業家の卵たちを育てるべく2015年夏に開設されたのがシェアオフィス&コワーキング「CULASTA(クラスタ)」だ。この建物は、丸森町の豪商だった齋藤家の屋敷跡「齋理屋敷」内にある“蔵”をリノベーションしたものであり、齋藤家は江戸時代後期から昭和初期にかけて、阿武隈川の舟運をきっかけに呉服・太物の商い、養蚕、味噌醤油の醸造など幅広い商売を手がけて、地元豪商として七代にわたり代々齋藤理助と名乗って栄えてきた、まさに丸森町が生んだ元祖“起業家”だ。
そしてこのプロジェクトで特筆すべきなのはその支援体制だ。最近は遊休施設をシェアオフィスにリノベーションして起業家誘致を手掛ける地域も少しずつ増えているが、一方でただ“ハコ”を用意するだけで、後は放任されてしまうケースも散見される。その点同プロジェクトの受託事業者は今まで数多くの起業家を支援してきたMAKOTOであり、まさにMAKOTOが本プロジェクトを主導する理由もそこにある。
MAKOTOの拠点は仙台市にあるが、スタッフが週3回丸森町へ通ってCULASTAに常駐するので、些細なことでもいつでも気軽に相談することが出来るほか、クラウドファンディングやクラウドソーシングなど、地方でビジネスを行ううえで有効なITサービスに関するビジネスセミナーも定期的にCULASTAで開催される。
一方でただセミナーを受講しただけでは不十分だ。そこでMAKOTOでは“ハンズオン支援(伴走型経営支援)”として、個別に起業前の準備から起業後のフォローまで起業前後の3か月間、まさに“同士”として二人三脚で全面サポートする。
さらにMAKOTOでは今までの支援実績によるノウハウに加えて、経済産業省や東北経済産業局、地方自治体をはじめ、民間企業や金融機関、そして士業に至るまでさまざまなネットワークを保持しているので、経営・事業に関するさまざまな情報を入手したり、顧客・提携先などを開拓したりするにもこのネットワークを活用することが可能だ。
実際、同プロジェクト始動とともにハンズオン支援を依頼した大槻博さん(写真中央)は「長年体調を崩していたのですが、里山を毎日歩いているうちに、次第に体調が回復して今では元気がみなぎるまでになりました。そこで私のように体調で悩まれている人たちの救いの手になればと森林セラピー的なことを考えていた時にCULASTAが出来ることを知り、早速ハンズオン支援をお願いしました。正直CULASTAが出来るまでは想いだけが先行して、どのようにやれば良いかは皆目見当が付きませんでしたが、MAKOTOの皆さんが一緒に親身に考えてくれて、ようやく事業化の目途がたちました」とMAKOTOに全幅の信頼を寄せている。
“志”こそがすべての原動力
「東日本大震災をはじめ、日本は有史以来何度も危機に直面してきましたが、そのたびにこの国は危機を乗り越えてきました。リスクを取ってでも日本を良くしていこうと考える人が現れたからこそ、今があるわけです。つまり“志”こそが全ての原動力なのです。いくら資金や技術があっても、“志”が無ければ上手くいきません。“志”があるからこそ、その想いに共感して色々な人が集まり、そして個人では成し得なかったことを実現させられるのです。一方で“志”だけでもビジネスは上手くいきません。そこで“志”という起業家にとって最大の武器を求心力として発揮してもらいながら、我々が経営面を支援することで事業を軌道に乗せていこうと考えています。」(竹井氏)
「今回町としての本気度を表すためにも、国の登録有形文化財でもある齋理屋敷を拠点にすることにしました。丸森町のシンボルであるとともに、商売の神様が宿っているような、そんな屋敷の一角を拠点に起業支援することで、次々と新たなビジネスが生まれ、そして元々ここに住んでいる町民の方々にも相乗効果が生まれることを期待しています。」(木皿氏)
「都会で身につけたスキルや経験を地方のために生かしたい!」、「地域をもっともっと盛り上げたい!」、そんな熱い想いを持っている人は、ぜひ一度丸森町、そしてCULASTAを訪れてみてはいかがだろうか。
金上 孝さん(撮影:現在リノベーション中の古民家にて)
丸森町に移住してくる前はどんな生活を送っていましたか?
元々は隣町の角田市で生まれ育ち、東京で衣料系の輸入会社に勤務した後、仙台で輸入雑貨店を開きました。輸入雑貨店と言っても半分以上は自主企画商品で、アメリカで知り合った現地の人に教えてもらったアクセサリーの作り方をもとにしたオリジナル商品等を販売していました。
丸森町へ移住することになったきっかけは?
仙台時代に住んでいたのはデザイナーが多い地域で、それはそれで面白かったのですが、都市のリズムではなく、時間に縛られずにモノづくりに没頭したいという想いを抱いていました。
そんなときに丸森町でワークショップ開催の依頼があったのがきっかけに、久しぶりに丸森町に足を運びました。そのときに丸森町にはさまざまな人たちが移住してきているのを知るとともに、また故郷の近くにこんなに面白いところがあったのだという驚きを覚えました。
そこで妻と「あんなところでモノづくりが出来たら良いね」という話になり、丸森町への移住を決めました。
丸森町に移住後はどのような生活を送っていらっしゃいますか?
移住してきた当初はアクセサリー等のネット販売で生計を立てていました。店舗運営をやらなくて良い分、1日中モノづくりに没頭することが出来、非常に充実していました。また住民の方たちも、地域に入り込もうと積極的な移住者には分け隔てなく接してくれますし、かといって余計な干渉はしてこないので、ちょうど良い距離感でお付き合いさせていただいています。
そんな生活を続けるうちに丸森町での生活を深めたいと考えるようになり、“家づくり”を始めようとした矢先に東日本大震災が起きました。そこでしばらくは復興関連に関わり、そして2015年からは地域のまちづくりセンターに勤務し、空き家再生や移住定住の推進、地域のバイオマス資源を活かした事業プロジェクトを進めています。
空き家再生について詳しく教えてください。
空き家を再生することで、みんながやりたいことを実現する“基盤”をつくりたいと考えています。地方には良いものがたくさんありますが、その活用にはさまざまな人の発想やパワーが必要です。したがってみんながやりたいことを実現できる場をつくることで、町内外からさまざまな人たちを呼び込み、そして交わる、そんな流れを作れればと思います。
バイオマス資源を活用した事業プロジェクトについてはいかがですか。
丸森町には伐採後の林地残材が多数存在するので、まずは森林再生を目指します。そして森林再生とともに森林資源の活用としてバイオマス発電を視野に、現在その可能性調査を進めています。昔は森林資源が薪として使われていて、日常的に人々が森林に入ることが森林整備にもつながっていたわけですが、現在は高齢化が進んで誰も森に入らなくなり荒れ放題になってしまっています。そこで「森林資源を利用する、だから森が整備される」というサイクルをつくるべくバイオマスを活用した事業を実現したいと考えています。
それでは最後に移住検討者へのメッセージやアドバイスをお願いします。
まずは移住の目的を明確にすることですね。そして実際に足を運んで、ここで暮らす人たちと交流してみることです。丸森町では地元ならではのイベントも頻繁に開かれていますので、それらに参加するのも良いですし、商店の人や道行く住民に思い切って声をかけて、いろいろと話を聞くのも良いと思います。
有難うございました。
<自然環境>
丸森町は宮城県の南端に位置し、福島県に隣接しています。阿武隈川が町の北部を貫流し、その流域と支流一帯が平坦地を形成している一方、南東部は約500メートル、西北部は約300メートルの阿武隈山脈の支脈で囲まれた盆地状の町です。
丸森町の気候は宮城県沖を流れる暖流の影響で年間平均気温が12度と比較的温暖で、多くの動植物の北限・南限の地となるなど、阿武隈川流域やその支流域には貴重な植生群や奇岩等があり県立自然公園に指定されています。
このような温暖な気候と豊かな自然を生かして、丸森町はハイキングやキャンプで自然を満喫できる町として、最近はグリーンツーリズムにも力を入れています。
<歴史>
丸森町の中心部に鎮座する鳥屋嶺神社は、延喜式の神名帳に記されている式内社で、平安時代から丸森町が開けていた地域だったと考えられています。中世に入ると伊達領と相馬領の境界に近く、たびたび両家での領地争いが繰り返されたのち、天正12年(1584年)に伊達領に落ち着くことになります。
江戸時代には丸森町中心部は阿武隈川舟運の川港として重要視され、阿武隈川舟運を利用し莫大な利益を得た豪商・齋藤理助により、町も大いに賑いました。現在の丸森町中心部には同家の屋敷「齋理屋敷」を中心に店蔵の町屋などが軒を連ねるほか、旧丸森郵便局のような近代建築も見られ独特な町並みを呈しています。
なお現在の丸森町は、昭和29年(1954年)に周辺の2町6村が合併して誕生しました。