お金より大切なものを求めて(新潟県十日町市)
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新潟県南部に位置する十日町市(以下十日町)。四方を妙高山、米山、黒姫山、魚沼連峰に囲まれ、盆地とともに雄大な河岸段丘が形成されている。
そんな十日町は、新潟を代表するモノやコトが多く存在しており、「THE新潟」と言っても過言ではないような地域だ。
まず新潟と言えば、「米」が真っ先に思い浮かぶが、十日町は「魚沼産コシヒカリ」の産地であり、市内の至るところで稲作が手掛けられている。
大小さまざまな棚田約200枚が、まるで魚の鱗のように斜面に広がる「星峠の棚田」
また新潟と言えば、「雪」を連想する人も多いだろう。しかし新潟県と言っても、日本海側の地域はそれほど積雪することはないが、十日町は、豪雪地帯として全国的に有名な地域であり、毎年2m以上、山間の地区では4m近くの積雪になるほどだ。
大小さまざまな棚田約200枚が、まるで魚の鱗のように斜面に広がる「星峠の棚田」
そんな地域であるため、その昔は冬になると、男性は出稼ぎに出て、そして女性が家を守ってきた歴史がある。したがって集落が一体となって、助け合いながら生きる、そんな風土が今でも受け継がれていて、例えば十日町および津南町で3年に一度開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(以下大地の芸術祭)には、毎回多くの観光客が訪れるが、当たり前のように自宅を休憩の場として開放したり、お茶を差し出したりする人も多いと言う。
そして「大地の芸術祭」をはじめ、十日町を訪れたことをきっかけに、里山の昔懐かしい景観だったり、人の温かさだったりに触れ、そして何度も行き来するうちに、居心地の良さに魅了されて、「私もこの地域の一員になりたい」と移住してくる20~30代の女性が最近増えている。
「大地の芸術祭」は、この地域に住まう人々の生活や人生観を見てもらうことを目的に、越後妻有地域(十日町市・津南町)全域を舞台に、3年に一度開催されている。また会期中以外にも、通年で常設作品を鑑賞することが出来、約300の常設作品が十日町市内に設置されている。
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その一人、鯨井恵理子さんは、広島県で生まれ、大学進学をきっかけに上京し、卒業後もそのまま東京で約10年間働いていた。
そんな鯨井さんは、雪かきのボランティアで、十日町市内のとある集落にやってきたのを機に、その後東京と十日町を行き来する生活を始めることに。
「新鮮な光景や人情にすっかり心を奪われてしまい、田植えや稲刈りをはじめ、集落で当時実施していたおうちづくりのワークショップにも参加するなど、気づいたら何度も東京と十日町を行き来する、そんな生活を送っていました。」
とは言え、まだ当時は移住を考えていたわけではなく、時々遊びに行くのがちょうど良いと思っていたそうだ。しかし、あるとき「こっちに良い仕事があるよ」と言われたことがきっかけで、思い切って移住しようと決意するに至った。
現在は地元のNPOの事務スタッフとして働き、休日は、週末だけオープンするカフェを手伝ったり、地域の草刈りや行事に参加しては、温泉に入って、地元の人とお酒を飲み交わしたりするなど、毎日楽しく過ごしている。
「都会の人たちと、この地域の人たちをつなぎ、そしてお互いをハッピーにする。そのお手伝いが出来れば、こんな嬉しいことは無いですね。そのためにも、まずは私自身が、もっとたくさんの素敵なモノや人に出会い、楽しく暮らしていきたいと思います。」と目を輝かせながら、鯨井さんは語ってくれた。
また、十日町のレストランで働いている渡辺紗綾子さんは、もともと東京出身、それも渋谷のスクランブル交差点と目の鼻の先に実家があるという。
そんな“THE都会っ子”の渡辺さんだが、環境問題を学んだことをきっかけに、人口問題や食糧問題などに関心を覚え、そして東京一極集中の功罪を感じるようになっていたそうだ。
そして、自分がやりたいことは都会ではなく地方にあると考え、そこで田舎体験プログラムを利用して、1か月間十日町に滞在することにした。
「参加したのは3月とまだ雪深い時期でしたが、こちらの人々は、豪雪の中でも普通に生活を送っているのが、すごく新鮮に映りました。その様子を目の当たりにして、私もこんな風に生きていけたらと考えて、3か月後に移住してきました。」
移住してきた当初は仕事にあてがあったわけではないが、プログラム参加中に知り合った、ドイツ人の建築家のところでお世話になることに。そして現在は、同氏のオフィスの1階でレストランを運営している。
「もともとレストランをオープンする前から、1階部分には厨房やカウンター、テーブルなどが揃っていました。オーナー自身も、誰か適任者がいればレストランにしたいと思っていたこともあり、私が運営スタッフになり、レストランとしてオープンすることになりました。」
同レストランでは地元の食材を積極的に活用するほか、将来的には、渡辺さんが良いと考える農法で、地元の農家さんに野菜を作ってもらう、そんな仕組みも考えていきたいと話す。
「私自身で栽培するのも一つかもしれないですが、そうではなく、地元の農家さんに作ってもらう、そしてこのレストランで食材として活用する。そのほうが、この地域の農業を活性化させられるのではないかと考えています。」と渡辺さんは語ってくれた。
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他の地域の移住者に話を聞くと、「××がしたかったから、それを叶えられる地域を探した」といった感じで、まずは目的から移住を考えることが多いように思われる。
一方、十日町の移住者、特に若い女性の場合は、十日町という“空間”そのものに魅了され、この空間に身を置くことを目的に移住してくるケースが多いようだ。
東京で生きるための術は“お金”であり、それを得るために、場合によっては自分に嘘をついてでも、何かを犠牲にしてまでも、会社に依存しないと生きていくことは難しい。しかし今の時代、一生安泰の会社なんてあるわけではなく、会社に何かあれば、生きる術を失うことになりかねない。
そのようななかで、十日町に移住してくる人たちを見ていると、“お金”以上に大切なものを、この土地で見つけている。そんな気がした。
鯨井恵理子さん(広島県出身)
まずは十日町市(以下十日町)に移住してくるまでの生い立ちを簡単に教えてください。
広島県で生まれ、大学進学をきっかけに上京しました。そして卒業後も、転職はしたものの、約10年間にわたり、一貫して東京で働いていました。
十日町と関わるようになったきっかけは何だったのですか?
ボランティアサークルの友人に誘われて、市内のとある集落で、雪かきのボランティアに参加したのが最初でした。広島出身で、雪とは縁がない生活を送ってきたので、最初にその光景を見た時は「何これ!?」と圧倒されました。
また夜な夜な、集落のおじいちゃん、おばあちゃんが集まってきて、手料理をふるまってくれたり、お酒を飲み交わしたりしながら、いろいろな話をしているうちに、何とも言えない居心地の良さを感じるようになっていきました。
新鮮な光景や人情にすっかり心を奪われてしまい、田植えや稲刈りをはじめ、集落で当時実施されていた家づくりのワークショップに参加するなど、気づいたら何度も東京と十日町を行き来する、そんな1年を過ごしました。
それで移住を決意したのですか?
いいえ、まだ当時は移住を考えていたわけではなく、時々遊びに来るのがちょうど良いと思っていました。
そうしたなかで、その翌年に開催された大地の芸術祭のときに、市全域を縦横無尽に回ったことで、今まで1年かけて十日町を知ったつもりでいたのですが、実はその集落以外のことは何も知らなかったことに気づきました。
またその年のシルバーウィークに、特にプランを立てずに遊びに来たのですが、集落の方々に誘われるままに日々が過ぎていき、何とも言えない安心感を覚えるようになっていました。
そんなときに「こっちに良い仕事があるよ」と言われたことがきっかけで、移住しようと決意しました。
移住を希望して「良い仕事があったら教えて」とお願いしていたわけではなく、先にお膳立てが整えられたわけですね(笑)。でも移住となると、観光とは異なるわけですが、不安はなかったのですか?
集落自体は居心地が良かったですが、そこで365日暮らすとなると、また話は変わってくると思います。ただ十日町は、山深い山間部だけではなく、市街地もあるので、それほど不便を感じることはありません。
またアートが好きなので、当初は東京のように美術館巡りが出来なくなると思っていたのですが、十日町は大地の芸術祭が開催されているため、市内あちこちに現代アート作品が展示されているので、東京の美術館とはまた違う、新しい価値観に出会えることが出来ます。
このように都会と田舎、両方の側面を併せ持った地域なので、不安はなかったですね。
この家はどうやって見つけたのですか?
職場の同僚が以前住んでいたところで、移住が決まった時に、家主さんを紹介してもらいました。もともと戦後からしばらくは、下宿屋や鮮魚店、仕出し屋、アイスキャンディー屋、さらにはパチンコ屋を営んでいた物件だそうです。
また2000年代に入ってからは、この地区の修景プロジェクトの一環として、改修・土壁修復が行われました。
現在は、大地の芸術祭の期間中は、休憩所として開放するほか、家の前の通りでイベントをやる際にも、気軽に立ち寄ってもらえるように、開放しています。
では最後に今後の抱負を聞かせてください。
休日は、週末だけオープンするカフェをお手伝いしたり、地域の草刈りや行事に参加しては、温泉に入って、地元の人とお酒を飲み交わしたりするなど、楽しく過ごしています。
また東京の友達に、こちらの素敵なモノや人を紹介したい気持ちで一杯なので、東京から友達を招き、いろいろと案内するときは、とても楽しいですね。
この地域の方々は、よそから人が来ると、新しい視点を持ってきてくれると歓迎してくれます。「田舎のおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くのと同じ感覚で、遊びに来てくれる人を増やしたい」と、よくおっしゃっています。
そこで都会の人たちと、この地域の人たちをつなぎ、そしてお互いをハッピーにする、そのお手伝いが出来ればと考えています。そしてそのためにも、まずは私自身が、もっとたくさんの素敵なモノや人に出会い、楽しく暮らしていきたいと思います。
有難うございました。
<自然環境>
新潟県の南部に位置し、市の中央部を日本一の大河である信濃川が流れ、十日町盆地とともに雄大な河岸段丘が形成されている。市の南部には日本三大渓谷に数えられ、上信越高原国立公園の一部である清津峡、西部には日本三大薬湯のひとつ松之山温泉がある。
日本有数の豪雪地帯として知られていて、冬には2m~3mの積雪となり、特別豪雪地帯に指定されている。
美人林
清津峡
<アクセス>
- [ 東京 ] 自動車 / 約3時間(高速道路利用時)、電車 / 約1時間50分(新幹線利用時)
- [ 金沢 ] 自動車 / 約3時間(高速道路利用時)、電車 / 約2時間10分(特急利用時)
- [ 新潟市 ] 自動車 / 約1時間30分(高速道路利用時)、電車 / 約1時間30分(新幹線利用時)