2020/03/10
震災をきっかけに法人化、10年目に新しいステージへ
株式会社阿部農縁 "縁"を大切に元気を与える農家
福島県須賀川市は福島県のほぼ中央に位置し、県内唯一の空港である福島空港があるほか、高速道路や新幹線などでのアクセスにも優れており、高速交通網に恵まれた地域です。
そんな須賀川市で桃や野菜、加工品を生産販売するほか、農業体験ができる農家民宿を営む阿部農縁は、2011年の東日本大震災をきっかけに法人化、震災から10年を迎える2021年に地域住民と訪れた人が元気をチャージできる交流拠点「SHINSEKIハウス」の建設を予定しています。
震災を乗り越え、人と人との"縁"を紡ぎながら新たな夢を描き活動する株式会社阿部農縁の代表取締役 寺山佐智子さんにお話しを伺いました。
株式会社阿部農縁 代表取締役 寺山佐智子さん(中央)
2011年の原発事故をきっかけに法人化
阿部農縁は大正12年から約100年続く農家です。寺山さんはもともとケアマネージャーや看護師として働いていましたが、2007年に退職後、実家のご両親の見習いという形で就農しました。
自然の中で農作業を行うことで自身の心や体が元気になっていくことを実感した経験から、「農業は人を癒し元気にする」と思い、農業体験のイベントを開催するなど、積極的に人との縁を紡いでいました。そんな中、2011年3月に東日本大震災が発生。
寺山さんの自宅も半壊するなど大きな影響がありましたが、須賀川市で畑を守り、暮らしていくことを決断した寺山さんは震災翌年の2012年3月に「農家民宿 よらっせこらっせ」をオープン。12月に法人化し、株式会社阿部農縁として新しいスタートを切りました。
「原発事故の映像を見た瞬間に『これから農家は、自分で生産物の良さを伝えて売っていく時代になったんだ』と感じました。風評被害もあることが予測される中で、人任せではもの売ることはできない。自分たちで直接お話をして交渉をするためには、法人化する必要があると思ったんです」
阿部農縁に使用されている"縁"の文字には、人との"縁"を大事にし、農業を通じて人を元気にしたいという寺山さんの想いがこもっています。
「会社名に"縁"を使用することは、友人のアイデアでした。いろいろなイベントに集ってくる人や、阿部農縁の"応援隊"の方々など、いつもたくさんの方の出入りがあり、支えていただいていました。そんな光景を見た友人から『あなたのところは縁に支えられているのだから、"縁"の文字を使って阿部農縁にしたら?』って提案してもらって、すごくいいなと思って、阿部農縁という名前がつきました」
農縁を訪れた人と昼食を囲むことも多いという
"実家の味"のようなご飯と、みんなで囲む食卓のあたたかさは人々を元気にしている
法人化した後も阿部農縁では、人との縁を大切にし、農泊などの形で多くの人々に農作業に触れる機会を提供すると同時に、自社で作った農作物や加工品を、消費者に直接販売する活動にも力を入れています。
会社組織としての成長を支えたふるさと納税
阿部農縁では、桃や野菜といった農作物のほかに、共に農作業を行う寺山さんのお母さん、阿部正子さんの味を受け継いだ梅干しや手作り味噌などの加工品を販売しており、ふるさと納税のお礼品としても提供しています。
大人気のお礼品である阿部農縁の桃
どこか懐かしい味の加工品も扱っている
「須賀川市では現在『さとふる』を活用していて、お礼品を市内の事業者から募集し地場産品としてPRしています。お礼品の掲載登録の方法などを各事業者が『さとふる』にサポートしてもらうなどの仕組みを活用しながら、お礼品提供ができています」
そう話す寺山さん。お礼品提供を始めたことで、リピート注文が入ったり、販路が広がったりしているほか、会社としても成長することが出来ているといいます。
「現状、収益の半分位がふるさと納税によるものです。安定的に注文が入るようになったことで、対応するための人を長期的に雇用することもできますし、保険関係など、心配なく働いてもらえるための仕組みを整えることもできます。また、日々の運営を任せられる人がいるようになったことで、新しい取り組みなども考えることができるようになって、まだまだ小さな会社ですが、会社らしい組織になってきたのは、ふるさと納税のおかげだと考えています」
親子の夢「SNINSEKIハウス」への挑戦
阿部農縁では震災から10年を迎える2021年3月11日に、農業を通じて"遊びに来た人"と"地域の人"が元気をチャージできる交流拠点「SHINSEKIハウス」をオープンする予定で、寺山さんは、現在クラウドファンディングなどの取り組みに奔走しています。
「SHINSEKIハウス」は近隣地域や首都圏から遊びに来た人と、地域の高齢者の方々が交流しながら農作業や料理に取り組む機会を作ることで、両者に親戚のような繋がりを生み出せる居場所になることを目指しています。
一緒に農作業や料理をすることで、遊びに来た人には第2の実家のような、一息つける居場所ができます。地域の高齢者にとっても、農作業や料理を教えることで、自分の役割を持ちながらたくさんの人と触れ合う機会が生まれ、お互いがこれまでよりもっと元気になれると寺山さんは考えています。
「SHINSEKIハウス」構想図
年齢問わず活き活きとした笑顔があふれる空間を目指す
共に農業を行う寺山さんのお母さん、阿部正子さんの「みんなが集まってくる場所を作りたい」という夢と、介護現場に向き合うケアマネージャーの経験をもつ寺山さんの、「元気で長生きするお年寄りを増やしたい、農業を通じて元気になる人を増やしたい」という想いが掛け合わさり、「SHINSEKIハウス」の構想が出来上がりました。
「『SHINSEKIハウス』という名前には"親戚"の意味もあるけど、震災から10年が経つ日に生まれる場所だから、ここから新しいスタートだという意味も込めて、"新世紀"ともかけています。オープン日には料理教室などのイベントも行いたいと考えていて、支援をてくださっている方々も含めて、みんなで集まって交流できればと思っています」
看護師やケアマネージャーとして働いていたころからずっと「関わった人がよりキラキラしてくれたら嬉しい」という想いを持っているという寺山さん。2021年、甚大な被害があった東日本大震災から10年を迎える日にオープンする『SHINSEKIハウス』にキラキラとした笑顔があふれる日が、待ちきれません。