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2020/11/12

コロナ禍と豪雨災害に負けず、愛する故郷と家族のために営む夫婦船

平国丸 『津奈木町ブランド』を背負い"鮮度"にこだわる

九州の地中海と呼ばれるほど静穏で美しい不知火海に面する熊本県津奈木町。不知火海は数10種類の魚が獲れる資源豊かな海です。そんな町で漁師になった濵田輝久さんと妻の亜美さんによって営まれているのが平国丸です。
それぞれ違う職業に就いていたご夫婦ですが、津奈木の地で漁師になることを決意しました。
2019年10月に加工場を新設し、直後にふるさと納税に参加した平国丸。
ふるさと納税への想いや、新型コロナウイルス感染拡大による影響、また追い打ちをかけるように襲った「令和2年7月豪雨」で感じたことについて伺いました。

平国丸 代表 濵田輝久さん(左)亜美さん(右)

大工から漁師の道へ

輝久さんが漁師になったきっかけは、漁師をされていたお父様の体調不良やリーマンショックが重なったことだそう。輝久さんは当時大工をしていましたが、お父様の船を継ぐ形で漁師になりました。その後、「自分の船がほしい」という想いから、妻の亜美さんを説得し、二人の漁船を手に入れ、夫婦漁師を始めました。
当初、天候や市場価格に左右され収入は安定しませんでした。2018年から町の商工会の誘いで6次産業の勉強会に参加し、後学のためにと東京ビッグサイトで開催されたギフトショーに参加しました。最初は、まだパッケージも商品名も決まっていない状態でしたが、個人的に身内などへの贈り物として作っていて好評だったエビの味噌漬けや鮮魚の漬丼を試食提供し、3回目に参加した際はリピートのバイヤーがつくほど、確かな手ごたえを感じることができました。

東京インターナショナルギフト・ショーに参加した際の平国丸のブース

その後加工場を立ち上げ、本格的に加工品の製品化を始めます。加工場では瞬間凍結機や真空パックの機械など、最新の機械を入れることで鮮度にこだわり、どの商品も漁師が普段食べているような獲れたてを味わえるよう工夫されています。

日本画家の大平由香理さんが壁面画を描いた加工場

"寄付のお礼"として喜ばれる商品づくりを

平国丸はエビの味噌漬けや鮮魚の漬丼を津奈木町のお礼品として提供しています。
「津奈木町がふるさと納税を始める前から制度については知っていました。全国の中でも九州ではふるさと納税が盛んで、周りで寄付をしたことがある人も多く、『どうして津奈木町はまだ参加していないの?』といわれていました。その後、津奈木町がふるさと納税のお礼品提供に力を入れることになり、『待っていました!』という思いでした。初めてのことで、パソコンを使った作業や商品説明の作成など戸惑うこともありましたが、役場のサポートがあり、助かりました」(亜美さん)

ふるさと納税を開始してまもなく、思わぬ影響があったそう。
「寄付経験者の周りには寄付経験者が集まっていて、そこから良いお礼品も口コミで広まっていく印象がありました。お客さまにも『津奈木町のふるさと納税のお礼品です』と積極的にお伝えしていました。それだけでなく、ふるさと納税はあくまでも『寄付のお礼』であることから、値段に対してどうだったか、という見方をする人が通常の販売よりも少ないと思います。値段ではなく、商品そのものを評価してもらえるため、そんな寄付者の方々に、『こんなに素敵なお礼品だった』と思ってもらいたい、より良い品を届けたいという気持ちが強まり、やりがいにつながりました」(亜美さん)
また、輝久さんはこういいます。「津奈木町のお礼品であることを伝えることで、『津奈木町認定』という印象を与え、寄付者の方からの商品への信頼度が高まると思います。その分、プレッシャーも感じますので、それが良い商品作りへの後押しになります。また、自社サイト以外のECサイトでの販売はコスト面や、運営会社に対する信頼性などにおいてハードルが高く、自社サイトでの販売がほとんどです。ふるさと納税は国の制度で、役場が間に入ることから、信頼できる点が一番魅力に感じました。参加する上で心配がなく、全国の方へ商品をPRできるため参加して良かったです」

平国丸が天然旬魚で作る漁師の季節茶漬けセット【70g×6パック】

不知火海で獲れた 平国丸の足赤エビの味噌漬け「Mサイズ」 約320g

夫婦を襲った新型コロナウイルスと豪雨災害

今なお猛威を振るう新型コロナウイルスは健康被害だけでなく、さまざまな業種への経済的被害を与えているのは周知の事実ですが、どのような影響があったのでしょうか。
「卸先の飲食店などが休業したことにより、魚市場の価格にも値崩れが発生しました。価格は通常と比べて50%~100%の値崩れが発生し、あわせて10日ほど出荷停止となることもありました」(輝久さん)

そんななか、さらに追い打ちをかけるように襲った「令和2年7月豪雨」。津奈木町では24時間雨量544mmの豪雨により、町内各地で土砂崩れや浸水被害などを引きおこしました。
亜美さんは2011年から「平国婦人消防団」に所属しており、その活動の一環として炊き出しのボランティアに参加しました。
「土砂崩れなどにより県道・町道が塞がれ、孤立する集落もありました。平国地区では3名の行方不明者が出て10日間ほど捜索が続き、その間の避難所生活者や地元消防団・消防隊、自衛隊、機動隊の方々の昼食や間食などを平国婦人消防団で作り続けたんです。各捜索隊の方々にも『こんなに食の充実した捜索活動は初めてです』といっていただき、食の大切さを改めて実感しましたね。また、避難所生活が続き、多くの方から疲労や精神的なストレスを抱えている様子が見られました。こんな状況だからせめて食で満たしてあげたいという気持ちで、平国丸から漬丼などをふるまったんです」(輝久さん、亜美さん)

平国丸と津奈木町のつながりはこれだけではありません。

避難所での炊き出しの様子

夫婦が住む自宅の真裏から2mほど先にある旧平国小学校の山が崩れ、近隣住宅が土砂に飲み込まれる被害が発生した

津奈木町や家族への想いから生まれる"向上心"と"探究心"

平国丸を営む上での3つの目標を輝久さんが話してくれました。
「1つ目は津奈木町で獲れた魚を『津奈木町ブランド』にすることです。津奈木町では京都の料亭や、東京の豊洲市場と取引があり、魚自体は、高い評価を得ています。一方で、同じ津奈木町で獲れた魚でも、捕獲してからの扱い方によってはまったく別の魚になってしまいます」

そのため平国丸では徹底したこだわりがあるそう。
「獲った後の処理は魚によって違います。氷を入れすぎると色や身質が悪くなってしまう魚や、網で傷ついてしまったため生け簀で泳がせて状態を戻す必要がある魚。大きい魚と小さい魚では小さい魚の方が弱りやすいためすぐに締めた方が鮮度を保つことができる。獲れた魚によってそれぞれにあわせた処理をするため手間暇がかかります。そうすると漁の回数が減ってしまい、量が獲れなくなってしまう。そこで魚を獲る網を改良し、一度にたくさんの量が獲れるように工夫しました」
網は業者に作ってもらうのではなく、自身の経験により、自ら改良を繰り返したのだそう。
「豊富な資源がある不知火海に面している津奈木町だからこそ、全国の人に津奈木町の魚は美味しいと知ってもらいたい。こだわって丁寧に扱った魚も、そうでない魚も、『津奈木町産』とひとくくりにされてしまう。津奈木町全体で品質を上げていく必要性を感じています」

それは、津奈木町の漁師たちを変えたいという想いにもつながっています。

イトヨリの血抜き作業

「2つ目は津奈木町の漁師が自分の子どもに『漁師はいい仕事だ』と胸を張っていえるような仕事にすることです。漁師は裕福な仕事ではないため、自分の子どもに『漁師にならないほうがいい』という親の話をよく聞きます。漁師の収入はどうしても市場価格に左右されがちですが、瞬間凍結機や真空パックの機械などの技術を取り入れて鮮度を保つことで、販売時期をコントロールできるようになります」輝久さんはこの方法を使って、市場価格に左右される漁師の今の状況を打破し、漁師の収入の安定化につながるように働きかけていきたいと考えているそうです。

「3つ目は子どもたちの魚離れを防ぐことです。現代は魚嫌いの人が多く、津奈木町にも魚嫌いの子どもがいます。魚を嫌いになる理由には、『生臭い』や『骨が気になる』が挙げられます。漁師はそれらの原因を解消して消費者に届けるべきだと考えています。そういった考えからも、鮮度や加工の仕方にこだわることにつながっています。ちなみに私たちは4姉妹を育てていますが、子どもたちは皆、魚が大好きです」

漁のお手伝いをする四女カノンさん

お子さんの話を聞いたとき、少し照れくさそうに話す輝久さんの表情が印象的でした。平国丸の商品の美味しさの根底には津奈木町と家族への想いがあると感じました。